小説

『生と彼』和織(『死後』『彼』)

 「櫛部」と記された標札を指さし、彼はこう言った。
「この男はね、君が奥さんとお付き合いをする前から、彼女に想いを寄せていた。だからずっと、君に彼女を奪われたと思っていたんだよ」
「え?そうだったのか・・・全然知らなかった」
「君は知らなくてもね、Kはそれに気づいたのさ。だから、この男をけしかけたんだ。『あんなに若くて綺麗な人が未亡人だなんて、不憫じゃないか。旦那の遺産だっていつまでもある訳じゃないんだ。支えになる人が絶対に必要だろう』ってさ」
「まさか」
「まさか、そう、でも、そんなことが楽しいんだよ、あいつは。わかるだろう?」彼は標札の前で指を振る。「この男を思うように動かして、ちゃっかり君の後釜に仕立て上げられたことが、楽しかったんだ。終わってしまえばそれまでで、言わば機会の使い捨てだ」
「機会の使い捨て・・・」
「滑り込んで、自分のいいように仕向けて、後は知らぬ存ぜぬ」
「・・・・・・」
「早く会ってきたらどうだい」
 彼に促され、私は別の人間の標札の付いた自分の家に上がった。妻は、縁側にいた。そこで、子供の服を手に取って、それを眺めていた。
「何をしてるんだ?」
 妻は振り向くと、慌てた様子で子供の服を隠した。
「あら、帰ったの」
「子供はどうした?」
「今は、お母さんが・・・・」
 私は妻の様子を見て、全てを悟った。
「ここにいないのか?」
「いるわよ」
「嘘をつくな」
「・・・・・だって、離れて暮らせば面倒を見てくれるって言うのよ、あの人が」
 泣き出す妻を目にして、怒りが込みあがってきた。こんなことは久々で、振り返って玄関へ戻るのに、少し時間がかかった程だった。私は家を出て、家を乗っ取った男を探しに行った。
「全て、君の死が招いたことだ」
 後ろから追ってきて、彼が言う。
「そんなこと言ったって好きで死んだ訳じゃない」
「いや、君は好きで死んだんだ」
 そう言われ、私は立ち止まった。
「何を言ってるんだ?」
「そういう風に怒ったのはいつぶりだい?」
「は?」
「Kが生きていて、どうして君が死ぬと思う?」
 私はその質問の意味も意図もわからず、ただ首を傾げた。

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