小説

『シー・サイド』永原はる(『浦島太郎』)

 アリサが私の髪先を触る。それから、随分伸びたわね、と言った。私は、そりゃあ八年も経つもの、と返す。すると、八年も伸ばしてたの、と驚いてみせた。私は首を横に振る。そう意味じゃ無いよ、と笑って言った。私は、舞い上がっていた。アリサと再会できたこと、言葉を交わせたこと、もう一度笑いあえたこと。それが嬉しくて堪らなかった。だから、色んな話がしたかった。離れ離れの八年間のこと、大学生活で出会った友人たちのこと、社会人になってからの忙しない日々のこと。それから、あの頃みたいに、色んな遊びに誘って欲しかった。私は、彼女ともう一度、時間を共有したかった。だから、私は、その気持ちを全て伝えようと思った。今すぐにでも、二人で、これからの二人を始めよう。そう、言おうとした。
 その時だった。アリサが、私に微笑んでから言った。
「私ね、結婚するのよ」
 時が止まった、ような気がした。
「彼がね、私の両親に挨拶したいっていうから、戻ってきたのよ」
 もう、波音は聞こえなかった。
「大学の同期なの。ねえ、マナ」
 世界と海と空の灰色が繋がっていく。幼い頃と変わらない海原の前で、アリサは笑った。
「お祝いしてくれる?」
 胸の内を駆け巡る感情に蓋をするように、下を向いた。それを見たアリサが、ありがとう、と言った。私は、頷いたわけじゃない、そう言いたかった。けれど言えなかった。足元が涙で滲む。何の涙なのか、答えは出したくなかった。ただ、彼女に気づかれないように私は俯いて、そのまま動けなくなってしまった。アリサが、どうしたの、と尋ねる。首を横に振る。何か言おう、言わなくちゃ、と思った。腹の底に力を込める。ようやく出た声が、ねえ、と言った。
「なに?」
 アリサが言った。
「また、」
 もう一度、力を込めて吐いた。
「また、遊ぼうよ」
 アリサが、強く頷いた。
「ええ、そうね」
 今すぐ冬の海に飛び込みましょう、とか、言って欲しい。そう思った。
「また、食事にでも行きましょう」
 その笑顔が、堪らなく、私の胸を貫いた。目の前のアリサは、もう、あの頃の彼女じゃ無いのだ。私は、ついにそう気づいてしまった。アリサが、そうだ、と言った。
「写真でも撮りましょうよ。再会の記念に」
 アリサがそう言って、スマートフォンを取り出した。それから、近くの堤防にそれを置いた。タイマー十秒にするわね、とアリサが言う。私はもう、どんな顔をしていいのか分からなかった。

 私たちの最後の春休み。その最後の一週間、あの日を思い出す。アリサは私たちの写真を嬉しそうに掲げてみせた。これで、消えずに済むわ。彼女はそう言って笑った。あの時、彼女の手に持たれた永遠には、こんな「これから」も込められていたのだろうか。こんな「私たち」も織り込み済みだったのだろうか。そんなのって、ないよ。私は心の中で呟いた。
 私の描いた「これから」は、あの頃と変わらない私たちだ。アリサがバカみたいな事を言って、バカみたいな事をしでかして、私はそんなアリサが好きで、そう、好きだったんだ。でも、もう目の前には、あの頃のアリサは、いない。何故、彼女の存在がここまで私の人生を縛り付けるのだろう。その答えが、ようやくわかった。私はまだ、あの時の「永遠」の中にいるのだ。
「アリサ」

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