小説

『バス』高平九(『蠅』横光利一)

 ルイの黒いハイヒールが固い音を立てて転がってきた。子供を抱き締めた母親の顔が何かを見つめて恐怖に歪んだ。みさきは母親の視線の先に目をやった。バス会社の広告の向こうで運転手の頭が左に大きく傾いでいた。その帽子が落ちたと思った瞬間、新たな衝撃が来た。みさきの体が宙に浮いて後は混乱が支配した。
 ガードレールを紙のように裂いてバスは谷底に転がり落ちた。凄まじい音がしたが深い谷に吸い込まれて誰の耳にも届かなかった。ただ、ドローンの黒い目玉が冷たくバスの行方を追っていた。

1 2 3 4