小説

『七夕の夜』南口昌平(『織姫と彦星』)

「天の川……ごめんね。ちょっと話がしたいの……」
 乙女座の声は少し震えています。
 天の川が呆然としていると、牡牛座が天の川の肩をぽんと叩きました。
「今日は七夕だろ? おめぇがこのバーに来るんじゃねぇかと思って、俺が呼んどいたんだ」
 天の川はしばらく牡牛座の顔を黙って見ていましたが、やがて早足で乙女座のもとへ駆け寄りました。
「俺も、おまえと話をしたいと思ってた」
「本当に……?」
「まぁ後は二人で話し合いなさいよ」
 牡牛座は天の川の肩を叩き、出口へ歩いて行きました。天の川と乙女座は、牡牛座の後ろ姿に、「ありがとう」と声をかけました。
 牡牛座を見送ると、天の川は心の中でもう一度「ありがとう」と呟き、席に着きました。天の川は乙女座を、乙女座は天の川を、それぞれ見つめました。

 明け方。朝日が昇り、辺りは白っぽい橙色に染まりつつあります。
 天の川が小舟を出して、彦星と織姫の待つ川岸へと向かいました。川岸の小屋の前に、彦星と織姫が並んで立って、天の川のことを待っていました。
 彦星は笑顔でしたが、横にいる織姫は黙ってうつむいています。
「もうお別れなんて、イヤ」
 織姫はいつまでも彦星の袖を握って放しません。彦星は織姫の肩を優しく抱きました。
「大丈夫。来年も、僕は必ず、ここへ来るから」
「安心しろ。俺が必ず来年も、彦星をここへ連れてきてやるから」
 天の川が口を挟むと、織姫はぐすぐすと鼻をすすりながら、涙で濡れた顔を彦星に向けました。彦星は織姫の前髪を後ろへ撫でるようにして、彼女の目を見つめました。
 そしてゆっくりと、唇を重ねるのでした。
 それから彦星が天の川に浮かぶ小舟に乗り込みました。
 天の川が彦星の乗った小舟をゆっくりと川岸から離します。
「彦星さま!」
 織姫が大きく手を振りながら声を上げました。
「絶対、来年も来てね!」
「ああ! 必ず来る!」
「天の川! 絶対、連れてきてよ! 連れてこなかったら、しょうちしないからね!」
 天の川は力強く手を突き上げ、叫びました。
「心配するな! それが俺の仕事だ!」
 織姫の姿は、朝霞の中へ見えなくなりました。

 小舟が揺れながら、霞の中を進んでいました。対岸が近づいています。
 これが天の川の仕事でした。彦星を、元いた川岸へと、返すのです。二人をまた離ればなれにするため、いや、二人をまた、七夕の夜に再会させるために。

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