小説

『雨にも負けない』洗い熊Q(『雨ニモマケズ』)

「まあ、何にしても。この強風に立ち向かおうと思わせる位だ。それはそれで、意義のある仕事をしているんだろう」

 ああ、叫んだのは気にしないのか。そう浅子は思いながらシーズー男の話に頷き返していた。

「だが、お嬢さん。こんな向かい風に唯々、立ち向かっているだけでは疲れるだけ。仕事もそうだ。一意専心。それだけでは塞ぎ込む一方になるもんだ。だから偶に世界の見聞を変えるのも良いかも知れん」
「はぁ……」
「例えばこの風に対してもそうだ。こうして見るのもいいもんだ」

 そう言ってシーズー男は黒い傘の柄を両手で持つ。そして風にしっかりと向けると、直立のままで身体を倒す。そう、風圧との絶妙のバランスで立ったまま斜めになって見せたのだ。

「風の力を利用して斜めに立つのもいい。目の前の世界を斜めに見るんじゃ。そう見ていると……」
「見ていると?」
「なんか気持ち悪い」

 だから何? シーズー男が斜めに立つ風体は面白い光景だが、浅子がそう思っても当然だ。

「または地面に張り付いてみるのも一興だ。上からだけでなく下から見るという事でな」

 そう言うとシーズー男は傘を畳んで膝を落とすと、そのまま地面に全身を付けて突っ伏して見せた。

「こうして地面に張り付けば歩くことは出来ないが、この強風に飛ばされずに済むぞ。そして何より、じっと動かないでこうしていると……」
「していると?」
「顔が冷たい」

 そりゃそうでしょうね。
 雨水溜まった地面に顔を付けているのだから濡れて当然。一体、何を為たいんだこの人は。浅子は引く程に呆れ返った。

「まあ、こうやって様々な見聞を持つのも良いが、大抵にそれぞれに不都合が有ると言う事だ。そのことを理解しておけば、不要な苛立ちなど覚えないかも知れん」

 そう言いながらシーズー男は立ち上がったが、水溜まりに付けた御陰で顔の毛半分ぐっしょり。べったりと毛がくっついて顔半分が欠けた様になっている。
 その顔で真面目に言われても何の説得力もないと浅子は思った。

「様々な見方と言うたが、そう、他には……」

 シーズー男がそう言い掛けた時だ。
 また急に風が強まった。強烈な勢いに浅子は傘を身構える。向かい風に盾突く傘脇から前を覗き見ると、風に乗って何かが飛んでくるのが見えた。
 危ない。思って飛んでくる物の動向を伺うと、それが大きな傘だと分かった。
 誰かの傘が飛ばされたか。しかしその傘はクルクル回らず、柄に重しが有る如くに浮び飛んでいる様だった。柄に何かが掴まっている。

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