浅子はあんぐりと口を開けて固まった。
い、犬のお面!? だけど何て生々しい。いや、それよりもこんな嵐の中で何故にその被り物を!?
視線が合って、シーズー犬顔の男はぱちくりぱちくりと目を瞬き。そして長いピンク色の舌を出してペロリと黒い鼻を舐めた。
凄い、何て精巧な創り!
流石に浅子は本物の犬の顔だなんて思わなかった。ましてこの嵐の中。それよりそんな扮装するのかと理解に苦しむ。
困惑して視線を外せない浅子にシーズー男が話し掛けてきた。
「お嬢さん、何処に向かってなさる?」
「え? いや、駅に……」
「この嵐の中、電車で何処に出掛けるのかね?」
「いや、その、仕事ですよ……」
「おお、仕事か! そうかそうか、仕事だったか。そうかそうか……」
浅子は訊かれて思わず答えたが、シーズー男の唇が滑らかに動いた事に驚いた。しかも渋い声を出して。本当に何て作り込んだ被り物だとまじまじと見つめてしまった。
「それより、お嬢さん。その仕事はそんなに大事なものなのかね?」
「は?」
「いやなに、こんな嵐なのに向かわねばならない位だ。それはとてもとても、大事な仕事なのかと思ってね」
「いえ……そんな大層な仕事では……」
そう訊かれて浅子は初めて思った。今、就いている仕事は堂々と公言できるほど自慢ではないと。
「その仕事は他人様の命に関わることなのかね? それとも気宇壮大な事業を展開する仕事なのか? どちらにしても偉いもんだ」
「そ、そんな仕事ではないんですが……」
「では何故、向かっているのかね?」
そう訊かれ浅子は答えに詰まった途端、強烈な突風が前から襲って来た。反射的に傘を突き立てて応戦。思わず声も出してしまった。
「おぉぉーーーー!!」
突風が収まって顔を真っ赤にしながら浅子は男と見合った。シーズー顔の風変わりな男とはいえ、人前で野太い叫び声を出せば女心としては恥ずかしい。