小説

『雨にも負けない』洗い熊Q(『雨ニモマケズ』)

 その日は嵐だった。
 嵐という表現は控えめ。
 季節外れの爆弾低気圧。首都圏目下直撃中。朝の通勤、通学に大打撃。
 注意喚起程度の予報を信じたばかりに、暴風の中で路頭に迷う人多数。
 新人社員の浅子もその一人。
 そして彼女は嵐に向かって叫ぶのだ。

「どあぁぁぁぁぁーーー!!」

 風に向けた傘にバチバチと音を立てて当たる大粒の雨。お気に入りデザインの超撥水傘の布地が、風で絶え間なく波打つなんて浅子は初めて見た。
 その風に持って行かれたら、強固だと名文句のカーボンファイバーの柄も容赦なくもぎ取られる。
 暴風の最中、浅子は思うのだ。

 バカ、私。バカだった、私。
 なぜ出た? どうして出勤しようと思った?
 休んでイイじゃん。休んで良かったじゃん。
 ちょっと予報を見て出れると勘違いした私がバカだった。ちょっと優しく「無理しなくていいよ」の上司のメールを励ましだと勘違いした私がバカだった!

 行けると思って外に出た浅子。まだ行けると進んでしまった浅子。
 完全武装のつもりで着こんだ雨具も、この暴風では無意味。濡れは防いでも進めなければどうしようもない。
 そして進めなくなって気付いた。電車は動いているのかと。
 周囲に歩いている人はいない。自分一人だけ。こんな暴風の中を歩いているのを傍から見たら何てバカなんて自分だって思う。
 きっと電車も動いていないんだろう、だから人っ子一人いない。事前情報をもっと真剣に模索していればと後悔。
 ああ、と心中で溜息ばかりが鳴く中ですっかり自暴自棄だった。
 進むか戻るか迷う最中、傘脇から前方に歩く人の姿が見えた。
 一人じゃなかった。だからどうだと自分でも分かるが、こんな状況で同じ境遇の人を見ただけで少しだけ安堵する。
 強風で進めなくなっているのか。長いレインコートを着て黒い傘を差す体格的には男性。進むにつれその男性と並んだ。ふっと浅子は男性の顔を見る。
 クリッとした大きな瞳。低い真っ黒な鼻。そして顔中が毛むくじゃら。

 そうだ、犬だ。犬の顔。しかもシーズー犬だ。

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