小説

『奪うこと、失うこと』吉田猫(『ジャックと豆の木』)

「なんかと、って失礼な言い方する人ね」
 咲菜は俺を一瞬睨みつけた後、目を反らすとテーブルの上の食器をかたずけ始めた。
「やっさんにだっていいとこあるんだから」
 咲菜が俺と目を合わさずに言う。
「いいとこあるってか」俺は馬鹿にするようにわざと鼻で笑った。
 少し乱暴に食器をお盆に乗せると咲菜は立ち上がり俺から遠ざかるように台所に向かう。俺は流しの前に立つ咲菜の黒いストッキングにつつまれた足を見つめていたが、立ち上がり洗い物を始めた咲菜に近づいた。冷蔵庫に持たれてしばらくの間咲菜の後ろに佇む。咲菜を見ていると無性にやっさんに苛立ちを覚える。周りに愛想だけは良くて、でかい声でへらへらしやがって。
「なあ、どうしてなんだよ。あんなおっさん」
 咲菜は無言で食器を洗い続ける。俺は咲菜の腹のあたりに手を回し後ろから抱きしめた。
「やめてよ」
 咲菜は口ではそういうが俺のゆっくりと動く手を振り払うこともしない。何もないように洗い物を続ける。
「やっさんにあんたはもったいないよ」
 咲菜の耳元でささやく。
「そんなことないから」
「なあ……」
 咲菜は何も言わない。
 セーターの裾から這わせるように入れた俺の手が咲菜の豊かな胸にたどりついた。いつものあれが俺たち二人にぐるぐると巻き付いていた。

 次の日、昼休みの食堂でもやっさんは相変わらず大声でパートのご婦人相手にご機嫌だ。
「昨日は大変だったよ、客が怒っちゃってね。営業の奴らに言ってやったよ。ちゃんとやんなきゃだめだって」
 何言ってんだか、と隣に座るフジイが俺に小さな声で言う。
「あんたのせいだろって。ぺこぺこ謝ったんだぜ。やっさん土下座しそうになったって営業の人に聞いたよ。だけど家に帰ればあの女だろ。何があってもご機嫌だぜやっさんは。聞いたよ、佐山さんも連れて行かれたんでしょ?」
「ああ」
「あんな可愛い顔してあのオッパイだろ、昨日もやったんだろうなクソ!あんなご機嫌だもんな」
 パートの女性相手に大声ではしゃぐやっさんを横目に自分の手を見ると指の隙間から溢れるような咲菜の乳房の感触が蘇る。
 昼休みが終わる少し前に工場の中庭から昨日聞きだした咲菜の携帯に電話した。電話が繫がった後も咲菜は何も言わない。
「明日出かけよう。準備しといてくれ。約束した時間と場所で待ってる」

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