小説

『逆立ち、たったそれだけのことが』もりまりこ(『双子の星』)

 てっきり星君が、去年動揺体育委員を務めるものだと思っていたら、黒板にチョークで記された星君の名前の隣には、あってはならない天野の名前が書き記されていた。選挙委員の女子が読み上げる名前が、星君よりも天野君と、告げることが増えてゆく。何が起きてるんだ。正の字だって、みていたらあれよあれよと思ってるうちに、星君を追い抜き始めた。
 あんなに、体育が苦手だということはクラス中が知っている天野のことを、みんなが申し合わせたように、票を投じていた。
 再生紙の投票用紙を広げて<天野君>って読み上げる度に、若干クラスみんなの雰囲気に、ざらっとした空気が混ざる。これは仕掛けられたなってスギナは思った。誰かが天野をはめている。結果、体育委員は天野になってしまった。
 星君が8票。天野君が35票でしたので、よって体育委員は天野君に決定しました。選挙委員の小川さんの声が空しく響いていた。そして、担任が、天野に拍手ぅって促すと、今まで聞いたことのない力強い拍手とくすくす笑いが
 教室の空間をまとっていた。星君なんて、落胆するどころか相手チームのナイスプレーを讃えているかのような微笑みを、口角に残していた。
 体育の時間になると、先生が来る前にラジオ体操を完遂しなければならないし、平均台での倒立などの手本も見せなければならないし、あるいは高い方の鉄棒で、ひかがみをひっかけて足掛けまわりとかをやらなきゃいけない。っていうか星君が体育委員だったこの間までそれをクリアしていたから。
 委員に選ばれたことが分かった時、2列右隣の前から3番目の天野の顔を見ると、意外にも嬉しそうだった。これは罠だからって思ったけど、あんなに照れくさそうな天野の顔をみるのは、はじめてだったので何も言えなかった。
 天野が委員になってからの体育の授業は、案の定めちゃくちゃになった。
 体育委員は恒例で、ラジオ体操の時に銀のホイッスルを鳴らすことになっていた。星君も委員の時は身体を身軽く、自在に動かしながらホイッスルを鳴らす。それに従ってクラスのみんなが、支配されたかのように手足を同じように動かしていた。星君の身のこなしに誘われたフォロワーが、魂抜かれたまま導かれているかのようだった。
 星君と違うのは、他のみんなの方が天野よりも機敏だったし、それに誰よりも手本になることができなくて結局、星君が天野の代わりをせざるを得なくなった。天野の面目は、まるつぶれだった。銀のホイッスルから息が抜けてゆく歯切れ悪い音が、体育館に響いていた。体育教師の前山は、ある日気が付いた。いや次の体育委員は天野だと聞いた時から怪しんだかもしれない。あいつは誰かに仕掛けられたなと。
 それからの天野の降板劇は瞬く間に過ぎていった。天野が風邪で休んでいた時に前山は、この茶番な選挙戦を仕組んだのは誰なんだと問いただした。
 みんなの顔を伏せさせて挙手させるというあれ。誰が犯人か知りたかったから、スギナはわからないように頭をずらして見ていた。もしかしたら、流石に猛省している誰かひとりが手を挙げてるかもしれないと。ただ、スギナが見た光景は、とてもおそろしいものだった。そこで手を挙げていたのは、ほとんど票を投じた人間すべてが手を挙げていたから。つまりほんとうの犯人を、庇うがための行為だった。あとのあとになってあの時、天野を体育委員にするための影の首謀者は、のちに星君だと判明した。

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