小説

『あるく姿は』間詰ちひろ(『源氏物語』第九帖「葵」)

「お婆ちゃんね。……人を殺めてしまったの」夕奈の目を見ることもなく、深く俯いたまま六美は話を続けている。夕奈は祖母の告白をにわかには信じられずに、ただ黙って聞いていた。

 
「あんたがこの家に来て何年経つか、分かってる?」
 六美はぐっと我慢して、ただうつむくしかなかった。桐谷家に嫁いで三年が過ぎたことは六美自身気にしていることだった。
 お見合い結婚ではあったものの、夫の光一は優しく、仲の良い夫婦だと近所でも評判だ。しかし、姑の葵はチクチクと事あるごとに六美を責めていた。その理由はいくつかあったが、最近では「跡継ぎを生まない」というただ一点に絞られていた。跡継ぎを産まない、うちの嫁は不良品だと、あちこちで言いふらしていた。
 六美は知らない素振りをしていたし、光一もやんわりと自分の母に注意してくれてはいた。しかし、葵の不満はとどまるところを知らなかった。
「あと、一年だけ待ってあげます。その間になんとかしなさい」葵がぴしゃりと言い放った言葉に、六美は嫌悪感を隠すことができなかった。
「どういうことですか?」苛立たしい口調を抑えることもなく、六美は葵に言い返した。葵はふんっと鼻で笑い、六美をジロリと睨みつける。
「頭も悪いし、跡継ぎも生まない。そんな嫁は光一には釣り合わないっていってるの。あと一年の間に子を授かるか、さもなければ離縁。これは決定事項です」
「そんな、理不尽なこと……」突然なされた宣告に、六美は言い返す言葉もなく、たださめざめと泣くしかなかった。光一もあまりの仕打ちだと葵に訴えてくれた。しかし「戦争で夫を亡くし、女手一つでも何不自由なく育ててくれた母を責めるのか」と葵にすがられると光一には成すすべもなかった。
 六美と光一の間に子供が生まれさえすれば、何も問題はない。葵が目くじらを立てて批難することもなくなるだろう。しかし、六美と光一が思うようにことは運ばない。時間ばかりが刻々と過ぎ、約束の期限とされた一年が迫ってくるばかり。二人の間には疲労感ばかりがしんしんと降り積もっていった。
「姑がいなくなりさえすれば。……死んでしまえばいいのに」
 六美の心の中に、いつからかこうした思いが芽を出していた。決して言葉にはできない。けれど、どうしても願わずにはいられなかった。六美と光一の仲を裂こうとする葵は邪魔者でしかない。葵さえいなくなれば、子を授からなかったとしても、二人は仲良く暮らしていけるのに。その願いはいつしか祈りに、そして呪いのように六美の心にじわりじわりと染み込んでいった。

 思いがけない知らせを受けたのは、夏のはじめのことだった。

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