小説

『あるく姿は』間詰ちひろ(『源氏物語』第九帖「葵」)

——なんだ、全然大丈夫じゃん。お母さんはいつだって、心配しすぎなんだから。
 夕奈は、風呂上がりに髪を乾かしながら、六美と過ごした半日を思い返していた。色々と話をしたけれど、様子がおかしいと感じるところは何もなかった。逆に夕奈の仕事の愚痴を聞いてもらうなど、これまでと変わらない祖母とのやりとりに安心感を覚えていた。
——お婆ちゃんがどんな夢を見てるか分かんないけど。うなされてるのは心配だから、夜中に起きてこっそり様子を見てみるか。
 やや物置と化している夕奈の部屋は二階にあり、六美の部屋は一階の和室があてがわれている。部屋が離れているので、六美がうなされたり、寝言を言っていたとしても夕奈が聞き取るすべはない。夜中にスマホのをアラームをセットして、様子を伺うことに決めた。

 枕元にあるスマホのバイブレーションがくぐもった音を立てる。目覚ましをセットしたのは深夜二時。夕奈はベッドから起き上がり、電気もつけずそろりと階段を降りていった。階段を降りて、すぐに和室がある。音を立てて祖母を起こしてしまったら計画は台無しだ。
 深夜特有の静けさと、祖母への不安な気持ちが夕奈にまとわりついてくる。しかし和室からは寝言ひとつ聞こえてはこない。夕奈は潜めていた息をふっと吐き、リビングに移動した。手に持っていたスマホをいじりながら少し様子を伺うかと、ソファにごろんと横たわった。
 それから程なくして、和室から低い声が響いてきた。冷蔵庫のモーター音かと思ったが、どうやら違う。夕奈が聞いたことのない祖母の低い声だ。「私のせいじゃない」とか「ごめんなさい」といった言葉が切れ切れに夕奈の耳に届く。途切れることのない低い声は、念仏を唱えているようでもあって、夕奈はぞくりと背中を震わせる。祖母の、何かに取り憑かれているような、低く唸るような声。夕奈は次第に怖くなってきた。身体が小刻みに震え、持っていたスマホを滑り落としてしまった。床に落ちたスマホは、ガコンと大きな音を立て転がっていった。しかし、その物音のせいだろう、和室から響く念仏のような声は、さっと闇に消えていった。
「……お婆ちゃん、起きてる?」
 夕奈はほんの少し和室の扉をあけて、小さな声で六美に話しかけた。ほんの少し沈黙があったのち、「起きてるよ」と返事が聞こえた。布団がごそごそと動く音がして、「夕奈ちゃん、お部屋に入っておいで」と六美の声がした。その声には、さっきまでの恐ろしさはどこにも感じ取れない。夕奈は少し胸をなでおろし、和室に入った。
 夕奈が電気をつけると、六美は敷布団の上に背中を丸めて正座をしていた。六美はどこかぐったりとやつれているように見えて、夕奈はまた少しぞくりとした感覚が蘇っていた。
「……最近、昔のことが夢に出てくるようになってね」夕奈が布団のそばに座ると、六美は絞り出すような細い声で話しだした。

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