小説

『呼ぶ女』中山喬章(『オオカミ少年』)

 さすがに寿司には飽きてしまったのだろう。
 やがてピザにも飽きてしまったのか、宅配サービス自体がやって来ることはなくなった。
「呼ぶ女」が次は一体何を呼ぶのだろうと期待に胸を膨らませていたところ、佐倉香の母がやって来た。
 今度は母親を呼んだ、ということなのだろうか。しかし、そうではなかった。
 佐倉香の母は、誰に呼ばれることもなくやって来たという……。
「きっと、部屋に籠もって何かをやっているのだと思うんですが、もう五日間ほど連絡がないのでどうにも心配になって……」
 呼ばれなくてもやって来る。親とはそういうものだ。
 青ざめた様子の佐倉香の母を連れて、私は五〇九号室へ向かった。
 内側からチェーンロックが掛けられてはおらず、管理人室に保管されていたマスターキーだけでドアを開けることが出来たが、部屋に入った途端、強烈な悪臭が鼻を突いた。
 それがどういった臭いなのか、一言で言い表すことは出来ない。色々なものが混ざっているような気がするが、どちらかといえば、生臭さの類だろうか。
 玄関を過ぎてすぐのところにあるキッチンは、コンロの上にまで寿司の容器が積み上げられていた。
 どの寿司も全く手が付けられていないように思える。これが臭いの元なのだろう。
部屋の奥へと進み電気を点けると、壁を敷き詰めるように掛けられた何枚もの絵と、いたる所に積み上げられた段ボール箱が目に留まった。
 机の上には宅配ピザの箱が積み上げられている。こちらも中身が残っているのだろう。
しかし、佐倉香の姿はどこにもなかった。
私は窓を開け、ベランダを確認したがそこにも彼女の姿はない。
その時、後方から突然、「カオル!」と悲鳴が上がった。
振り向くと、浴室へ足を踏み入れようとする佐倉香の母の姿があった。
浴槽に張られた水の底で、佐倉香は、ただじっと待っていたのだ。

私は警察から、不審な人物を見掛けなかったかと質問を受けた。
不審な人物か、そうでないかはさておき、多くの人間が五〇九号室を訪れている。また、その大半は男性だった。
 私は防犯カメラのデータを警察に渡し、マンションの訪問者リストを確認しながら五〇九号室を訪れた人物について、少しずつ記憶を辿っていった。
ここ二、三週間ほどは、寿司とピザの宅配員が多く、先月は通販の配達業者の出入りが多い。その前は引っ越し業者が見積もりのために何人も訪れている。
訪問者リストを更に遡ると、「五〇九号室、男」とだけ書かれた欄が幾つか出てきた。彼らは配達業者や引っ越し業者のように制服を着てはいなかったので、ただ「男」としか書きようがなかったのだ。
 はっきりと覚えてはいないが、いずれも年配の男だった。五十代くらいが多かったと思うが、中には六十代の者もいたかもしれない。

1 2 3 4 5