小説

『決闘の予言』ノリ・ケンゾウ(『逆行』太宰治)

 恋敵はいなくなったが、トミちゃんはトミちゃんで、これまたオサムのまったく知らない男と元からお付き合いをしているらしい。学生の頃からの付き合いで、すごく仲が良いのだという。オサムは闘う前から敗れていた。オサムの大嫌いな上司も、これは本当にたまたま、別の営業所へ移動となった。だからなんていうか、オサムがなんとなく予期していた決闘はすべて的外れだった。予期していないところから、決闘が起きてもおかしくないのだが、じゃあいったいどんな決闘がオサムを待っているのだろうかというと皆目見当つかない。いやね、それにね、そもそも決闘ってなんなのよ。と、オサムは思う。西部劇じゃないんだから。酒場でのやり取りをもう一度思い出しながら、いくらなんでも決闘だなんて、ありえないだろうとオサムは思い始めている。たとえ比喩的な意味であったとしても、それが決闘というのは抽象的すぎて予言としてどうなのかとすら思う。でもあの、顔面蒼白になった常連客の表情を思い出すと、どうしても不安にはなってしまう。あの顔……演技だったのかな。でも演技にしては迫真すぎる。それにあのばあさん、やたら雰囲気あったしな……

 オサムは仕事終わりに、いつものバーに寄ってから家に帰ることにした。店は外から見ると、中の灯りが見えないので初めは入りにくかったが、入ってみれば店長の人あたりもよいし、周りの客も友好的な人が多いので、オサムは気に入ってすぐ常連になった。木製のドアを後ろに引き、店内に入る。カランカランと鈴の音がなる。いつものように端っこの席に座ろうとするが、すでに違う人が座っていたので、シゲさんが立つ位置の目の前の席に座った。
「シゲさん、いつもの」オサムが声をかけると、
「いつもの?」と店長がとぼけた声をだす。
「え、うん」
「いつものってなんだっけ?」
「ねえからかわないでよ
「はいはい、ごめんよ」
 そう言ってにやにやしながら、シゲさんは氷を割ってグラスに入れ、ウイスキーと炭酸水でハイボールを作ってくれる。
「そうそうこれこれ」オサムは差し出されたハイボールを一口飲んで、んぁーっ、うまい、と上機嫌になって言う。それからいつも自分が座る端の席にいる男に声をかけ、
「ここは初めてですか?」と質問をした。
 男は、あ、はい、と返事をしてから、
「最近引っ越してきたんです」と付け加えた。
「パン屋さん、開いたんだって」と横からシゲさんが言う。
「パン屋さん?」
「なんだかね、すごい繁盛してるらしいよ」
 男は三島という名前で、本場フランスの名店で修業を積み、第一線で活躍したのち日本に帰国してきて、オサムの住む街に「ユキヒラ・ミシマ」というパン屋を開いたのだという。早々にメディアからも注目されており、開店当初から行列が絶えず、中でもミシマのクロワッサンは本場フランスのコンクールでも最高評価を受けたとあって、連日売り切れ必至という具合だった。
「そりゃあたまらないな、僕はクロワッサン大好きなんだよ」
「いいですね、ではぜひお店にきてください」
「絶対行きます」
「すぐ売り切れちゃうので、お早めに」

1 2 3 4 5