小説

『決闘の予言』ノリ・ケンゾウ(『逆行』太宰治)

「え、あっ」
 急に隣に座っている同期のトミちゃんに声をかけられ、驚いてカレンダーを落としてしまう。トミちゃんは小柄で優しくて可愛らしくて、オサムは密かに恋心を抱いていた。
「いや、ちょっとぼうっとしてて」と慌てて言うと、
「おいオサム、ちゃんと集中しろよ」とトミちゃんとは反対側の隣に座る川端に咎められる。口では怒っているが、にこやかに笑っている。川端は優しい先輩だった。仕事もできるし、顔も目鼻立ちが整っていてハンサムだ。川端に注意を受けるオサムを見て、トミちゃんも笑ってる。トミちゃんが川端に送る視線の中には、なんとなく羨望の色を見て取れるような気もする。オサムはそんなトミちゃんを見て、決闘というのは、川端と恋敵になるとか、そんな話かもしれないと思う。オサムは無意識に、川端をじっと見ていた。果たして勝てるだろうか、こんなにいい男に。考えているうちに顔が険しくなっていた。
「どうしたんだよ、そんなじろじろ見て。気味悪い」と川端に声をかけられ、我に返る。
「あ、いや、またぼうっとしてまして」
「まったく、お前は本当に変わってるな」
 川端はやはりいい先輩だ。太刀打ちできるところはなさそうに見える。オサムは振り向いてトミちゃんを見る。気づいたトミちゃんが、ん? という顔をする。かわいい。決闘までに、どうにかしてトミちゃんの気を惹く方法を考えないと……
 そんなことばかり考えてしまい、オサムは仕事が全然捗らなくなってしまう。その日一日仕事が停滞し、上司に呼び出される。
「今日一日かけてこれか!」
 罵声を浴びせられ、ぺこぺこ頭を下げるオサム。オサムは仕事ができない。年次が浅いというのもあるし、元々持っている資質に由来する部分もある。それにしても上司はオサムばかりを集中的に攻撃する。オサムは怒られながら、いつか必ずこいつには仕返ししてやらなければならないと決意する。もしかしたら、決闘というのはトミちゃんを巡っての色恋じゃなくて、いけ好かない上司を成敗するための決闘なのかもしれない。

 結局まだ決闘は訪れていない。決闘がいつどのように誰と行われることになるのか気になりながらも仕事はいつも通りに進んでいくし、普通に終わる。帰ってからも特別何も起こらない。時間だけが流れていく。一日、一週間、一カ月……と、決闘は行われないまま、生活は続いていく。
 その中でも、ときおりこれが決闘になるのか? と身構えることは数回あった。
 たとえばオサムは酔っ払いに絡まれ喧嘩になりそうになる。酔っ払いが酒臭い息を吹きかけながら顔を近づけてくるが、兄ちゃん男前だな、と上機嫌にオサムを褒めただけで、オサムは一気に肩の力が抜けてしまう。
 ハンバーガーショップでチーズバーガーを頼んだのにチーズ抜きで出てきたとき、オサムは思わず激怒しそうになったが、指摘するとすぐに新しいバーガーを用意してくれたのでかえって悪い気がして反省した。自分の声が小さかっただけかもしれないと思った。どれもこれも、決闘を意識してさえいなければ些細な出来事だ。
 恋敵と思っていた川端は、トミちゃんではなく、オサムの知らないところで恋人がいたようで、近頃結婚した。オサムも式に呼ばれた。めでたい。

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