小説

『Tokyo山月記』両成敗(『山月記』)

「息子さん、真さんのご様子はお変わりありませんか?」
「ええ」
 恐縮したように弓絵がうなずく。
「真さんは、今週外出されましたか?」
「いいえ。……いえ、私の見ている範囲では、ですが」
「屋内に36時間以上居続けると、内因性外部異種化症候群の発症が7倍になると言われています。どの時間帯でも構いませんので、なるべく2、3日に1度は外に出られたほうがいいでしょう」
「はい」
 弓絵の様子は、まるで職員室に呼ばれた女学生が、教師の前でしょんぼりしているかのようだ。
 引きこもりをかかえる家族の反応はだいたい2つに分けられる。引きこもる家族へのフォローを放棄し、徹底的に無視するものがひとつ。腫れ物のように扱い、重病人に対するように手厚く干渉したがるのがもうひとつ。内田家は後者だ。どちらも世間には隠そうとするのは同じである。外部異種化症候群が猛威を奮うようになってからは、その傾向が更に強い。
 わからないこともないけれど、その隠そう隠そうとする行為が潜在患者には状態を悪化させる原因となるのだが。
 潜在患者の家族には、最新情報を載せたパンフレットを配っているけれど、人間の気持ちというものはそう理想通りにはいかないのも事実である。
「今日の訪問は、真さんにはご連絡してありますか?」
「はい」
「お会いする事はできますでしょうか?」
 対応マニュアルでは、極力本人に会う事が基本とされる。知らず知らずに獣化の症状が現れていたりするからだ。それは一番に家族が気づくものだと思われがちだが、えてして家族は都合の悪い事に目をつぶりがちなものなのだ。それに、潜在患者は家族以外の者と触れ合うことで症状悪化が抑えられるという研究成果も報告されている。
 弓絵は、あまり気乗りしない様子で立ち上がる。
 狭い階段をあがっていくにつれ、重苦しい空気はさらにその重力を増していくような気がする。
 真の部屋のドアを弓絵が叩く。タンタンと乾いた音。
「真。市役所の方、見えてるけど。出れそう?」
 ドアの向こうで何かくぐもったような声。内田真だろう。が、すぐにシンと静まりかえる。ドアの向こうで息を殺しているかのようだ。まるで肉食獣におびえる、か弱い子鼠のように。
 今日も本人の面談はかなわないかと思われたその時、鍵の開く音。ハッと弓絵が息を飲むのが聞こえた。

 内田真、25歳の部屋はカーテンが引かれていた。外はまだ明るいけれど、電灯が点いている。この9畳の部屋に季節感というものは一切ない。壁にはアイドルの水着姿のポスターが貼られている。どれも、一様に作り物めいた笑顔を振りまき、女性同士で抱き合っている。

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