小説

『Tokyo山月記』両成敗(『山月記』)

「ひとが獣になったわけじゃなくて、元々獣だったものが人間なのかも。それが、何かが原因で、もとに戻っただけなのかもしれない」
 青年の目は、私を見ていない。
 私は完全に見誤った。彼はもう、人間ではないところに足を踏み入れている。
「だいたい、獣でも、人間でも、もとは別のものだった。それは、古い書物ならどこにでも書いてある」
 創造神話はどの国にも存在する。ギリシャ神話の「カオス」、メソポタミアでは、神々の戦争があり、死んだ女神の身体を引き裂いて大地と空を作ったという。
「日本書紀にはこうあるよね。『いにしえ、天地のいまだわかれず、陰陽のわかれざりし時、まろがれたること鶏の子のごとく』」
 鶏の子、つまり卵。すべてはひとつの卵だったと。
「透明な卵にもどるときがきた」
 私はどうして、この青年を、青年だったものを人間だと思いこんでしまったのだろう。
「答えを知りたい?」
 知りたい。私は、いや、私達はいったい誰なの?
 私はドアを開けて、階段を下りていく。
 居間には、内田弓絵が座っていた。私を見て、不思議そうに首をかしげている。
 私は挨拶も告げずに外へ出る。裸足のまま。空気が欲しかった。新鮮な空気が。
耳鳴りが酷い。でも、それは耳鳴りではない事を、私はどこかで知っている。
これは、私の内臓がぐずぐずに溶けていく音。
 指を見れば、そこから木の根のようなものがのぞいている。引っかくと、小さな根毛が跳ねて出た。
 人が獣になるなら、植物になってもおかしくないわけだ。
 内田真はあの部屋で植物になっていた。木と木は、われわれ人間には分からない形で交信しているという。

 『野獣は野獣を知る。同じ羽毛の鳥はおのずからいっしょに集まる』

 私も木に変態しているからこそ、彼と話すことができた。
 博識なわけだ。世界中の知性は紙にしたためられている。紙の元は樹木だ。
 世界はいま、まさに姿を変えようとしている。

 『神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。産めよ。増えよ。地に満ちよ』
 
 もし世界がまたひとつの卵に戻るなら、それまでの間、私はどこに根をおろそうか。

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