小説

『白波の浦』山風大(『伊勢物語 第六段芥川』)

 朱音は一ツ身震いをすると、柔肌をくるんだバスタオルの胸元をぐいと引き上げた。有村は空き手で、ポケットから携帯を取り出し画面を点ける。ト新たな表示が目にとびこんだ。
「……まずいな、七海から着信があるよ。どこにいるんだってメッセージも」
「やだ、七海さん、起きてるんだ。でもどうして先輩がいないこと知ってるの……」
「朱音がいないのを見て、もしやと疑ったんだろう。それで部屋に這入って確かめたんだ。昨夜のこともあるからね」
「それじゃあ、私たちが一緒にいることもバレてるのね……」
 有村は何も応えずに、苦笑を漏らすばかりである。
「先輩、どうしましょうか……」
「二人で外に出たことは認めるしかなさそうだね。問題はその理由だけど、そうだな……トイレに起きたら廊下でバッタリ朱音に会って、気分が悪そうだったから酔い醒ましに外に連れ出した、ということにしよう。帰りが遅いのは……この大降りが幸いだ、どこかで雨宿りしていたことにできる」
 朱音はそれを聞くと、覚えず笑みをこぼし、
「ずいぶん機転が利きますね。いままでもそうやってごまかしてきたんですね。でも、もう隠さなくていいんじゃないですか? 七海さん、先輩があちこちで浮気してること知ってるんですから」
「それでも認めちゃいけないんだ。何を言われても白を切り通すべきなんだよ。認めない限り事実にはならないからね。それが最低限の遊びのマナーだよ。相手を傷つけないためのね」
「あの人なら、正直に言えば許してくれそうですけどね。実際、気にはするけど、暗に認めてるみたいだし」
「たしかに七海は心が広いから、許してはくれるだろうけどね」
 有村はさらに言葉を継いで、
「まぁ言うなれば、彼女はあの海の白浜だな。俺みたいなあちこち漂う浮舟が、終いに流れ着く場所だよ。それで、いつでも優しく迎えてくれるんだから見上げたものさ」
「なんだかお惚気みたいですね。ちょっと妬いちゃうな……」
 そう言い朱音は悄気て見せる。
「彼女のことはもういいから、いまは二人の時間を愉しもう。俺もシャワーを浴びてくるよ。朱音はベッドに這入ってな」
 有村は女の頭をポンと叩くと、ずぶ濡れのシャツのボタンを外しながら浴室へ向かう。陰気めく部屋には唯、雨のざわめく音ばかり。

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