小説

『白波の浦』山風大(『伊勢物語 第六段芥川』)

 ベッドの朱音は雨音の中で、天井の仄明かりを茫とながめている。ト彼女の意識をよびさます如く、倏忽として雷が再来した。朱音は轟音に怖じて、頭から布団をかぶる。傍らの窓にひらめく稲光が、布団の花柄をチラチラ浮かばす。
 横向きに寝る朱音は、背後の窓にカタカタ当たる音を、かすかに聞いた。恐るおそる振り返れば、磨りガラスの向こうに、なにやら仄白き影が揺れている。朱音は不気味に思ったが、鬼の業にや潮の業にや、引かるるままに、ベッドを抜けて一歩二歩。窓を開けると、白き物体が蜘蛛のように宙にぶら下がり、風のまにまに漂っている。朱音はしのつく雨夜に手を伸ばす。ひらりと幾度も躱されつつ、漸くにして捉まえたは――昨夜の宴席で酔客のつけた般若の面で。
 朱音はたちまち総毛立った。悲鳴とともに外へ抛つ。が、お面は反転し、勢いよく窓から闖入る。その拍子に、ゴム紐に結わえた吊り紐が解け、ふわりと舞って布団の上。朱音は腰が砕けて転倒した。横降りが顱頂をかすめて膝元を濡らす。ト稲妻が一閃、惘然と見つめる目先に、大口をあけて嗤う般若が浮かんだが――金色の双眸から、頬を伝って頤へ、泫然と流れたは、口紅で引いたくれないの涙。戯けて見えた昨夜の顔に似もつかず、雨に濡ち血涙を絞るその面は、あたかも恨みの権化の如し。妖異に出会い、消魂の朱音は、さめざめと泣く。何処かで、窓がバタリと閉まる音がした。

 白波を切る海路こそ甲斐なけれやがて浜着く舟ぞあるべき

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