小説

『思い届くまで』霜月透子(『赤ずきん』)

 なにを言っているのだろう。問い返したいが、うめき声は言葉にならない。
「いじめた方は忘れてしまうんだな。おまえはいじめたことどころか、妹の存在そのものを忘れていた。許せなかった。あいつは高校をやめてからもずっと人に会うことを怖がった。働こうとしたこともある。けれどだめなんだ。どんなに優しくされてもいつ豹変するかと怯えてしまう。そんなことを何年も繰り返してきたんだ。おまえが気楽に生きている間にも」
 ごうごうと耳元で風が吹き荒れて赤城の声がよく聞こえない。
「おれがどうしてこっちに帰ってきたかわかるか? 転勤なんかじゃない。妹が死んだからだよ。もう会うはずのないおまえに怯えて死んでいった妹を弔うためだよ。おまえの影から逃げるには自ら命を絶つしかなかったんだ。高校の時、おれはおまえに言ったよな、もうやめてくれって。その記憶をなに書き換えているんだよ。誤魔化しているつもりかよ。気持ち悪いんだよ」
 ちょっと待って。違う。それ、私じゃない。私は、ユリじゃない……。
 声の代わりに咳が出た。咳込むたびに腹部に力が入り、痛みという概念を打ち砕く衝撃が全身を貫いた。もううめき声すら出ない。
 寒い。唐突にそう感じた。激しく鳴っていた風音はいつしかやんで、冷たいほどの静寂が満ちている。
 閉じた瞼が明るくなる。痺れた思考が、赤城がドアを開けたのだと理解する。
 もはや私にできることはなにもなく、ただ、床につけた耳に伝わってくる足音と私の意識が遠のいていくのを感じていた。

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