小説

『せめて別れ際だけでも美しく』ノリ・ケンゾウ(『列車』太宰治)

 私はいつの間にか、苛立ちが胸の内から飛び出して表出してしまい、オサムと揉み合いになっていた。オサムは必死で私を落ち着かせようとしながら、私の手を掴むが、私の勢いは止まらなかった。オサムが掴んだ手を振りほどき、平手でオサムの頬を四回ほど叩き、倒れ込んだオサムに蹴りを入れる。ごめっ、ごめんって、てっちゃん、ごめんって! と叫ぶオサムを無視して、頭を掴んで顔を起こして、まず右手で平手打ち、その拍子で左に倒れた頭を起こすように左手でもう一度ビンタをする。オサムは泣き出した。おめえ二度と私の前に顔出すな! 一喝して、止まっている列車の車内に私はオサムを押し込んだ。早く出せこら! 私が列車に向って叫ぶのと同時にキャー、と悲鳴が聞こえた。てっきり私の蛮行を見た乗客が怯えて悲鳴を上げたのかと思ったらそうではなくて、向こうの前方車両の方にある人だかりのできた辺りから発生した悲鳴のようだった。逃げたぞ! と男の声もした。あの人が痴漢したんです! と今度はまた女性の声がして、人だかりの輪の中から一人の男が走って抜け出してくる。後ろを初老の車掌が追っている。あれじゃ追いつかない。私は全速力で駆け出した。誰か捕まえて! 逃げるなっ! 様々な人の叫び声が飛び交っている。私はスピードを上げてぐんぐんと男に近づいていく。男の真正面から近づいていく。男は追われている後方にばかり気が向いていて、私が近づいてきていることには気づいてない。男と私の距離が、あと五メートル、三メートル……。とうとう目の前に男が来た瞬間、左足で踏み込み、右膝を抱え込むようにして私は飛び上がった。男の顔面を、私の怒りの膝がクリーンヒットする。おらあ! 男は血を噴き出して、その場に倒れた。てめえのせいで電車が止まってんだよ! 私は男に向って吠えた後、追ってきた車掌に男を引き渡す。遅れて何人かの乗客の男性もやってきて、男を三人がかりで取り押さえた。どこからかぱちぱちと拍手が巻き起こり、私の膝蹴りを称えた。後日、痴漢男性を捕まえたとして、私は警察から表彰を受けた。地方新聞にでかでかと掲載された写真の中で、私は照れくさそうに笑みを浮かべている。

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