小説

『趣味の壁』真銅ひろし(『青ひげ』)

「あのさ、これ。」
「何これ。」
「俺の部屋のクローゼットの鍵。」
「・・・。」
「ずっと黙ってた事があって、本当は見て欲しくないけど、黙ってる訳にはいけないと思って、でも、どうするかは任せる。」
鍵を手渡す。
妻は黙って受けとる。
―――――ああ、終わった。
多少の期待は持っていたが、手渡した瞬間にそう感じた。
けれどあとに引くことは出来ない。こんな渡され方をしたら人は確実に開けるだろう。
「行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
静かにドアを閉める。

新店舗の準備は着々と進んだ。
多少の商品配置などの修正はあったが、特に大きなトラブルもなくオープンに向かった。
一日目、二日目、三日目、自宅から何の連絡はなかった。
見ただろうか?
どう思っただろうか?
引いただろうか?
娘は?
変態だと思っただろうか?
離婚だろうか?
やはり失敗だったか?
黙ってた方が正解だったか?
「・・・。」
この三日間はこの事ばかりが頭の中をぐるぐる回っている。
「加賀谷さん、これ、見てもらっていいですか?」
お店の入り口で立っている女性スタッフに呼ばれる。
「こんな感じですか?」
そこには壁一面に新商品の化粧水が等間隔で何列にも並べられており煌々と明かりに照らされている。その直ぐ横の壁には有名な女優の顔のアップの写真が貼られている。
「いいじゃない、迫力あるね。」
「ありがとうございます。ちなみに、これ使ってるんですけど、かなり良いですよ。」
「そうなの?」
「はい。試供品ありますよ。」
「あ、じゃあ後で貰おうかな。」
真っ先に娘の顔が浮かんだ。持って帰ってあげたら喜ぶだろうか。
「きっと家族の方も喜ぶと思いますよ。」
「・・・そうかな。」
「私だったら嬉しいですけどね。」
「・・・そうか。」
確かに喜ぶかもしれないが今頃家はパニックに陥ってるかもしれない。
正直帰りたくない。
「よし、じゃあ今日はあと一息だから頑張りましょう。」
「はい。」
スタッフにはっぱをかけ、仕事に戻った。

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