小説

『G線上あるいはどこかの場所で』もりまりこ(『浦島太郎』)

 最初は先生が好きなアンデルセンとか宮沢賢治の「よだかの星」を読みながら、「これからお前は市蔵だ」っていう件で、あまりにも救いがないねっていうことになって違う本を読んでくれるようになった。
 タイトルは忘れてしまった。河野さんという主人公は、ゼロがいくつもつくぐらいの宝くじ、たぶんその頃の最高額にあたって仕事もやめて海辺の町に引っ越す。あまり誰とも交わらないけれど幾人かの友達が訪ねてきたりする。そしてすごい省略するけれど、ある日彼が習い始めたチェロでバッハの<無伴奏チェロ組曲第一番>を海辺で弾いていたら、雲行きがあやしくなって雷に打たれて、闇の中の住人になってしまう。河野さんは雷にうたれるのが2回目だという。だからついたあだ名が、イナズマンだと知ってばかばかしくて、すこしだけ親近感がわいた。でも宝くじにも当たって2度も雷にもあたって。2度目でとどめをさされるって、これに罪と罰をあてはめながら、人生プラマイゼロっていうことなのかって凄くしびれた。ちょうどその一冊のページが閉じられた翌週、東山先生は違う学校に赴任することになった。放課後のささやかな朗読の時間が校長先生とかに伝わってよろしくないってことになったって噂を聞いた。
 その時ぼくは東山先生は悪くないですってことをちゃんと言えなくて、言えなかったことが東山先生の傷になってしまったかもしれないことを悔やんでる。僕の罪。東山先生を思い出したかったから。あの小説の中の主人公が海で暮らしていることに憧れがあったので、それをなぞるようにその日海にでかけた。
 そこは磯の匂いがたちこめていた。栄螺のつぼ焼きくさい。ここは日本の東の果てでななくて、いつかみたポルトガルのロカ岬だと想像してみる。
 海をみていたいつかの映像の残像がいつまでも残っていて。 ひかる波が、ぽつりぽつりと頭の中を巡っている。
 とかって思っていたらぼくの耳に不穏な声が入り込んできた。振り返ると、同じ学校の2年先輩の人達みたいだった。砂浜にたどり着いた亀をいじめていた。ぼくはさっと岩陰に隠れた。ときどき甲羅を叩く鈍い音がしてぼくは耳をふさいだ。かなり執拗だった。しばらくしたら彼らは飽きたのか、どこかへと行ってしまった。そろりと振り返ると亀も首をゆるりとこっちに向けているところだった。責めている目をしていた。助けられなかったことを悔やんで、亀の傷ついた甲羅の模様をみながらそこを後にした。

 中学を経て高校を卒業してもぼくの性格はあまりかわることはなかった。ぼくのなかにはあの日、東山先生が読んでくれた小説のエピソードがどこかに残っていて。いつか宝くじに当たって海辺に住もうと思っている夢は捨てきれなかった。
 だから就職してからもこつこつと宝くじを買ったりしていた。当たることはなかったけれど。本気でクジにもあたって本気で雷に打たれたってかまわないって思っていたから、すごい嵐が来そうなある日、不要不急の外出は控えてって
 気象庁が言っていたけど僕は海を訪れた。
 あの日と同じように眼をつむる。ここは、ユーラシア大陸の最果てであることを夢想する。そこから海がはじまること。おわりのはじまりのような。
 なぜでもなく、どうしてでもなく、理由もなく。
 って思ってたら、ぼくの眼の前に亀がやってきた。
「もういいよ、まぁだだよ。遅い!」

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