小説

『G線上あるいはどこかの場所で』もりまりこ(『浦島太郎』)

 字を読んでるとめまいがするんです。
 黒板の字も教科書も、ぜんぶがゆらゆらっとゆれて意味がつかめないっていうか。僕、おかしいのかな? っていうかなんかの罰ですか?
 罰?
 そうです罪と罰の罰です。教えてください。
 え? 罪と罰? リフレインしたあと、スルーされた。それっていつ頃からかな?東山先生は、じっと僕の目を見て待っていた。
いつからってだから、アルハンブラ三宅君が、あっちの世界に行ってしまってから。彼が使っていた机の上に、花瓶が置かれて、しばらくしたら花瓶の中のガーベラの花びらが色あせた頃、その花瓶がいつしか亀にしかみえなくなってから。亀は僕にしか見えないことを教えてくれたのはデボラ山口さんだった。
 赤坂君もあれが亀に見えるんだねって話しかけてきた。僕はびっくりしたけどちょっと友の気分で悪くはなかった。でもそういうことを言うと東山先生は、たちまち困ってしまいそうなので黙っていた。正直すぎると命取りになる世界に生きてる僕たちだから。アルハンブラ君がいじめられていることを僕は知らなかった。いつも帰り道は彼といっしょだったのに何かしらのサインを送っていたかもしれないのに気づいてあげられなくて。全部こころの声だった。
 静けさの後、東山先生はちょっと苦悩の表情をしたその後でそうかそうかと頷いた。なにがそうかそうかなのかと問いたかったけれど、ほんとうに対処できない人の典型のように額に汗をかいていたので黙った。そして、ちょっと溜め息を接続詞みたいに吐いた後、こう言った。
 罪と罰なんてほんとうはないよ。特に罰はね。先生は太郎君よりちょっとだけ長く生きてきてそう思う。すこしだけゆがんださびしさで東山先生は答えた。
 耳に太郎って名前が運ばれてくるとぼくは、血の気が引く。倒れそうになる。
 太郎だなんて名前いまどき逆に目立つのに、ほとんど何も考えたくなかった、デキコンだった両親は、適当に名前をつけたんだと思う。
 僕の苗字は赤坂なのによく浦島って言われる。たまに桃っていうやつもいたけど、そういうやつらとは話をしなくなったら、ほとんど授業中から休み時間までほぼクラス全員からシカトされまくって無口でいることも平気になっていった。そうこうしているうちに、デボラ山口さんもアルハンブラ君と同じ、道を選んでしまった。いじめられていることに気づいてないってのは自分への言い訳かもしれない。
 無口な僕でも東山先生とは話ができた。静かな語り口のラジオのDJみたいな存在だった。東山先生はいい人だ。なるべくなら期待を裏切りたくない。
ありがとうございましたと、よくわからないけれどお礼を述べて教室のドアに手がかかった頃背中に声が届いた。
 赤坂君、放課後朗読をしてあげるよ。面白そうなので断らなかった。だって東山先生の眼の中の虹彩が放射線的に輝いていたから。拒まないことにした。

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