小説

『G線上あるいはどこかの場所で』もりまりこ(『浦島太郎』)

 声がする。辺りに人はいない。ふと足元をみると亀が首をのばして口元が動いていた。「太郎君。やっと来てくれた。すごく待ってた」
「なんで亀が喋ってるのって思ってる? よね。空耳? って思ってるよね。うわぁ待った待った。いつだったか子供がさ、かくれんぼしてんの。もういいよまぁだだよとかって。でちょっと真似してみる? って思ってたら声がでたから、時々喋ってる。太郎君がぼくをあの日助けてくれてたら、また違う展開だったと思うけど。責めてないよ全然。万年生きて、何万回苛め倒されたことか。受け身も憶えたしね。それはそうと玉手箱欲しいタイプの人?」
 ぼくが黙ってるとまた亀が話し始めた。
 長い自己紹介終えた亀之助は、助けられたかもしれないいろんな人のこと、いつも考えてるでしょ。って首をもたげた。ちょっと図星だった。東山先生とか死んじゃったアルハンブラ君やデボラさんとか。彼と彼女と机の上には僕がいたでしょ。見透かされ過ぎて視力5.0みたいでおそろしかった。太郎君は亀之助といるといいことあると思うよって口説かれた。いい亀みたいだったので一緒にいることにした。
 その日から僕と亀之助はどこに行くのも一緒だった。つまり会社にも一緒に出勤した。浦島地下街を毎朝同じ時間に走り抜けるのは亀と一緒の通勤で、すれ違う人からの視線をすり抜けたいがためだ。<亀と走る男>って、いつかハッシュタグがついてSNSにアップされていたことを知って、焦った。顔が不鮮明で助かったけれど。でも走ることは徒労だと知る。RT見たら、見えないもの見えちゃう系? って笑われていた。つまり彼女にしか見えない亀だった。
 会社での僕のポジションはもうすでに資料室送りにさせられて、いきなり戦いのレースから降ろされた。それはそれで気楽なもんだったけど。これから先、生きてゆくのか何十年もって昼ご飯の時心の中で呟いたら、だよねって今わたしも同じこと思ってたって、まだ左遷組ではない渋谷実花が乗って来た。スケルトンな日々。ここまでくるとこわいより馴染んでる。総務の渋谷も小さい頃いじめられていたらしい。中学の時鬼ごっこしてたらさぁ、ハブされてぇ。
 海岸でいつまでも、もういいよとかって言ってた。それこそもういいんだけどぉ。今でも忘れられなかったりする。こういうことから男女は付き合ったりするんだろうかって思ってたら、渋谷実花には、ちゃんとパパがいた。パパからもらったお金を貯めてゆくゆくは花屋をしたいのだそうだ。それもありだねって言ってたら、目線が下降した。
「あ、これ亀之助」「見えるんだ」って小さく僕は呟いたけど聞こえなかったらしい。
「なんかかわいいね。赤坂君とふたりでひとつって感じ。亀って縁起いいんでしょ。さわっとこ。宝くじ当たったりして!」
 撫でられながら亀之助が目をつむった。やらしい。寡黙な亀之助。6時半まで開いている竜宮デパートの隣の宝くじ売り場に行く。いつもとは違う売り場なのに、お姉さんは昔から知っていたみたいに挨拶してくれる。
 一応ボーナスが出たので大人買いした。亀と一緒だったからありがたがられたのだ。そしたら、隣の占いのおじさんに呼び止められた。成り行きで占ってもらった。
「馴染み深いところから出て、道のところに向かい。今までと違う考え方、過激なまでに新しい考え方をみつけるでしょう」って言われた。言われたら、無性に気になってきて、これからの人生は展開するのだろうかとそれなりに不安がっていたら。亀之助が甲羅の中からなにかを取り出してきた。知らなかったけれど甲羅のひとつひとつがボックス、つまり収納スペースになっていた。
「ほれ」って短い手で渡されたのは玉手箱だった。
「これってもしかしてあれ?」

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