小説

『太郎の帰郷』和田東雲(『浦島太郎』)

「馬鹿げてる」
と太郎は言った。余りに馬鹿げてる。母から聞いたときも呆れたけれど、今、改めて思い返しても、そんな伝説を誰が信じる?
「信じんでも構わん」
と、男は心を見透かすように呟いて、煙草を囲炉裏にうずめた。
「亀が万年生きることも。浦島太郎がいることも。かもいんことも、依子んことも。親父んことも。全て疑って生きることも出来る」
 男はよっこらせと立ち上がり、奥の間の方に歩いていく。そして神棚の上から、何やら手に取り戻ってきた。
「たが太郎、全てを信じることも出来る」
 男が持ってきたのは、黒い漆が塗られた古めかしい小箱だ。
「人を信じれば、人は幸せになれる。そういう奴は、わざわざ亀をいじめたりはせん。本当は、おめえはみんなに愛されとる。それを信じることが出来りゃあ、この世は竜宮だ。真実はな、この箱の中にある。こいつを開ければ全て分かる。だがな太郎、信じるっていうことは、人間だけに出来ることだ。それを忘れちゃいかん。その上で、おめえに一つだけ言っておく」
 男は太郎に箱を手渡す。
「いいか太郎、この箱だけは、何があっても、絶対に、絶対に開けてはならん」

 太郎はそれから東京に帰った。この出来事は誰にも話さなかった。そして箱も開けていない。今のところは。

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