小説

『太郎の帰郷』和田東雲(『浦島太郎』)

「そろそろ許さんか。十一歳。昔はおめえん歳で元服したもんだ。髷結ってな、いっぱしの大人ってことだ」
 男は長く、細く、煙を吐く。
「あ、あなたは誰なんですか。一体」
 男は太郎の目の、奥の奥をのぞき込む。
「太郎。俺んな、おめえのじじいよ」
「ぼ……くに、ぼくにおじいちゃんはいません。ぼくが生まれるずっと前、病気で死にました」
「だれん聞いた」
「母です。何度も何度も聞かされました。おじいさんのこと。……名前の由来」
「ほおお。なら分かんだろう。俺が、おめえんじじいの、浦島太郎さ」

 浦島太郎? 

「んん、聞いたんじゃないんか? おめえんの家の、こん島ん話を」

 太郎が聞いた話はこう。それは太郎の祖母、善縄かもいの物語だ。
 かもいは幼い頃から性格が優しく、コマドリのように働く少女だったが、往来を歩けば石を投げられるほどいじめられて育った。かもいには、体中にひどい腫れ物があったのだ。子どもたちの親でさえ、かもいには近づくなと言うほどだった。ひとりぼっちのかもいの逃げ場は家の裏手の砂浜だけだった。
 そんなかもいが年ごろになり、誰にも知られず恋をした。誰も知らない白髪の漁師だった。いつから島にいるのか、何処から来たのか、誰の縁故なのか、全てが謎だ。砂浜で男を見つけたかもいは、悟られないように岩場の陰から男を眺めるのが習慣になった。男は精悍でたくましかったが、かもいと同じように、瞳は何処までも孤独だった。二人は少しずつ、波が運ぶように引かれ合い、誰にも知られず夫婦になった。
 ところが幸せは長くは続かなかった。かもいの病が男に移り、男の顔中に腫れ物が出来たのだ。かもいはほとんど発狂するほどうろたえた。懸命に看病をし、命がけで神仏に祈りを捧げたけれど、結局男は死んでしまった。男の棺はこの島の風習に従って、亀甲墓という石造りの墓に安置された。かもいは何日も何日も泣き続けた。しかしその後、島に二つの不思議な出来事が起きた。
 一つはかもいの病が治ったこと。腫れ物は嘘のように癒え、かもいは島一番の美人になった。もう一つは男の遺体が消えたこと。寂しさに耐えられなくなったかもいが、墓を開けて、棺の中を覗いてしまったのだ。棺はまったくの空っぽだった。
 かもいが母、依子をみごもったことが分かったのは、そのすぐ後のことだった。

──おじいちゃんは、浦島太郎だったのよ。あの有名な。この島にはずっと昔から、その伝説があるの。だから、おじいちゃんは本当は死んでなんかないのかも。おばあちゃんの病気を治しに、竜宮城からやってきたのよ
──だからぼくの名前を太郎にしたの

 もちろん、と母は微笑んだ。

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