小説

『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)

「いつもこの時間なったらだんだん人いなくなるのに……今回全然いなくならない……みんな寝てくれよ頼むよ」
「……今何位なの」
「35位」
「報酬何位までだっけ」
「500位」
「なら余裕じゃん」
「余裕じゃないんだよ! 私にはわかる、これは一時間放置したらもう1000位代まで下がってる」
「でももう朝だよ~。うちの周り鶏鳴き始めたよ~」
「うちもだよ!」
 香奈子がそう大声を出したと同時に、香奈子のスマホがブラックアウトする。
「……あれ……」
「なに。今度はどうした」
「ねぇ! えっ! 嘘でしょ! ねぇ!」
「何よもう」
「どうしよう由紀奈……携帯……死んだ……」
「えっ、動かないの」
「動かない……何も……だめ……あ、今順位下がった、今40位……50位……」
 衝撃のあまり、香奈子は気を失うようにベッドに倒れこむ。今から携帯ショップに……と言っても早朝過ぎて開いていないし、借りに開店と同時に行けたとしてももうその時点で大幅なロスだ。金の力を使えば多少は取り戻せるけれど、生憎、未成年には月ごとに課金上限というものがあり一定の額以上は課金出来ないシステムになっている。既に今月は、先のユマのイベントで数万課金してしまっていた。
「だめ……。何も解決策がない……もう、だめだ……」
 連日の睡眠不足で全く頭が回らない。なるほどこれがメロスの陥っていた境地か。わかるよメロス。メロスわかりみ強い。なんてまるで語彙力のない言葉だけが回る。
もういっそ、コウキくんを知らなかった頃の平和な自分に戻りたい……。
死んだ目でベッドの上でうつ伏せになる香奈子を見かねた由紀奈は、思わずこう零した。
「アカウントIDわかるなら私が引き続きやろうか?」
 由紀奈のその言葉で、香奈子の目に生気が戻る。香奈子は音速で自らのアプリ内IDとパスワードをパソコンに打ち込みながら、由紀奈を今改めて、心からの友だと実感した。もしかしたら、由紀奈になら命を預けられるかもしれない。セリヌンティウスはこんな風にメロスを信頼していたのだろうか。だったらBLなんて思って誠に申し訳なかった。いやでも私は由紀奈がほぼ全裸でハグを求めてきたら逃げてしまうかもしれない。やっぱりセリヌンティウスはメロスが好きなんじゃないか。そんなことを思いながら、香奈子はパソコンの画面の中の由紀奈に思い切りキスをしていた。

 真っ白い、日当たりのいい教会だ。香奈子の数メートル先で、香奈子の兄とその奥さんになる女性がキスを交わしている。香奈子はそんな二人を、自分の推しカップルであるコウキとユマに当て嵌めながら見つめていた。我ながら親不孝、いや兄不幸な妹だと思うけれど、そうでもしなければ気が変になりそうだったからだ。
 人前式を終え、親族での写真撮影に行く途中で香奈子はまだ慣れない、代機のスマホを確認する。由紀奈から無言で、今のイベント内ランキングが載った画像が数件送られてきていた。721位、719位と少しずつではあるが順位は着実に上がってきている。きっと由紀奈も何回も同じ動作をするうち慣れてきたのだろう。メッセージも打てない程緊迫した状況が続いているのだろうということを察した香奈子は申し訳なさと不安で胃がキリキリと痛んだ。
 これが終わったら、由紀奈に目一杯優しくしよう……。

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