小説

『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)

 香奈子は心に誓いながら、カメラマンの掛け声に応えてピースをする。きっと結婚式史上、これほど暗い顔でピースをしている女は香奈子が初めてだろう。数枚の写真を撮り終えると香奈子はすぐさまTwitterを開き、ライバルたちの現在の状況を探る。
『現在431位! さっきから課金しまくってるけど全然順位上がらない……。みんな頑張り過ぎだよ~』
『おかげさまで、現在第1位です。推しのイベント、このまま駆け抜けます』
『イベント始まってるの忘れててちらっとイベントページ見に行ったら参加人数45万人もいて震えてる。これが愛嘗コウキの力……』
 前回のイベントとの参加人数の比較画像も出回り、確かにこのアプリにハマって以来、香奈子も初めて見るような数字だった。そして今、そのとんでもないイベントを初心者で彼氏持ちで唯一無二の親友に預けてしまっている。目の前には豪華な料理が並んでいくが、そのどれも、食べる気が起きない。
 メロスは妹の結婚式でめちゃめちゃはしゃいで酒飲んだんだっけ……メンタル鬼じゃん……。
 香奈子は恐る恐る初めてのフォアグラに口をつけるが、もったりとした感触が口の中に纏わりつくように広まって、味わいもしないまま水で流し込んでしまった。
 ああ、私がコウキくんに出会わないごく普通のJKとして過ごせていたら、由紀奈をこんな目に合わせずに済んだのに……。
「……やっぱり涙出る程かっこいい……つか、コウユマつがい過ぎる……揃えられないとか無理……」
「こら香奈子。なにぶつぶつ言ってんの。キャンドルサービス、来るわよ」
 しかしやはり例の画像を見ると、どうしても諦められない気持ちが勝った。アプリ配信当初ここまで課金してきた意地もある。今までのコウキのカードは全て持っているのだ。諦めきれるわけもない。香奈子は改めて、会場に集まっている男性たちを見回す。
「やっぱコウキくんが世界一だわ……」
 一瞬、普通に女子高生として三次元のイケメンでも見付けてみようと思ったばかりだったのだが、その気持ちは一瞬にして崩れ去ったのだった。

 修理にいってしまった香奈子の相棒は未だに返って来ない。それどころか、由紀奈の連絡も途絶えてしまった。結婚式を終え、やっと自由の身となった香奈子が由紀奈に『ピンチヒッターありがとうございました。ここからは自分で頑張ります』とメッセージを送ったのだが一向に返事がこないのだ。既読にすらならない一方通行なメッセージを眺めて、香奈子の心がざわつく。もしかして、寝てしまっているのだろうか。それとも何か事件でもあったのだろうか。パソコンからもチャットを飛ばしてみるが、応答はない。
 もしかして、嫌になって逃げちゃったとか……。
 そんな考えに行き着くが、香奈子はすぐに頭をぶんぶんと横に振った。あんな優しい友人を、疑うなんて失礼だ。しかし、ゲームにログインしているのは由紀奈の携帯からで、同時に二つの端末からはログイン出来ないようになっているため由紀奈にメッセージを読んでもらえないことには永遠に香奈子はゲームが出来ない。
 右往左往している間にも時間は無慈悲に過ぎていく。気付けば香奈子は制服を着て、席につき、テストに向かっていた。

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