小説

『ドーナツの穴から食べる』香久山ゆみ(『青い鳥』)

 朝、擦れ違う人に「おはようございます」と挨拶しても返事がない時。私が言ったことなのに、いつの間にか「さっき○○さんが言ってたけれど」と、まるで別の人の発言になっている時。トイレの個室に私が入っているのに、手洗い場では誰もいないかの如くギャハハと大声のお喋りが止まない時。あら、私、幽霊? って思います。もしかして、出勤途中に事故に遭って死んでしまったのかしらって。普段から存在感の薄い私ですが、そんな時は本当に目も当てられない。そんなだから、もちろん会社での居心地は悪い。いいえ、会社だけでない。友人なんてほとんどいないし。家にも安息はありません。いつでも息を殺して生きている。
 こんな私ですから、奇跡的にプロポーズを受けた時には、二つ返事でお受けしました。そして、結婚を機に、逃げるように退職しました。
 夫は物静かな人です。私の何を気に入ったのか。お互い適齢期をとうに逃してしまっていたから、ただそれだけなのかもしれない。けれど、出会った頃に夫が話したことを覚えています。
「ドーナツの穴だけ残して食べる方法を知っているかい?」
 もちろん知りません。ただ、変わった人だと思いました。そんなことを考えているなんて、きっとこの人も淋しい人に違いない。私が夫と結婚した理由を強いて挙げるなら、そんなことです。
 どうやら、「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」とは、当時ネット上で話題になっていた哲学的問題のようで、哲学以外にも様々なアプローチから皆さん取組まれているようでしたが、私はそんなこと知る由もありません。ただ、目の前に差し出されたドーナツが指輪に変わった。それだけのことです。
 結婚して、子供を授かっていればなにか違ったのかもしれない。けれど、私たちは子供を授かる機会に恵まれませんでした。いえ、そんなことを考えるのも、ただ私の弱さでしょう。結婚後の私は、夫が出勤した後、一人きりで家で過ごす。結婚前となにも変わらない。ただ、場所が会社から新居に変わっただけ。私はいつでも据わりの悪さを感じている。
 ドーナツの穴とは、私のことではないか。そう思いました。漫然と無為な時間を過ごすうちに、ぼんやりとドーナツの穴問題を考えていました。ドーナツの穴だけ残して食べる方法を考えるには、まずドーナツの穴とは何か定義せねばなりません。それで、ふと思ったのです。私はまるでドーナツの穴のようだ、と。
 社会という輪の中に入ることができず、ぽかりとはみ出した存在。かといって、ドーナツの壁を越えることもできない、閉じた存在。無力です。決してドーナツになることはできない、ドーナツではないのに、ドーナツの消失とともに消えてしまうちっぽけな存在。いえ、存在なんていうこともおこがましい。無です。空です。
 そんな私と二人で暮らすことの何が面白いでしょうか。次第に夫の帰りは遅くなる。
 夫が私と正反対の性格ならば、きっと既に三行半を突きつけられていたでしょう。けれど、彼は。私と同じです。今更また新しい生活を始めるのも億劫で、ただ退屈な日常を継続する。
 そんなある日、夕餉を終えた食卓で、夫が切り出しました。

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