小説

『オタクの恋』(『かえるの王様』)

テキストでパンパンのバッグを肩から下ろし、白い革張りの高級ソファの様な座席に身を埋める。
「あの藤原グループの御曹司だとわかったら、みんな、ハジメ殿をチヤホヤするんじゃないかな?」
 山下が何気なく言った一言に、ハジメは動揺を見せる。
「そっ、そんなことが知れたら、女子から『御曹司なのに王子様とはかけ離れてるわねー』とか言ってディスられちゃったり、ヤクザの手下みたいなヤツから毎日のようにお金をタカられるかもしれないし・・・・・・」
素性を明かす事、それだけは、絶対にあってはならない。
僕は、知り合いが一人もいない高校に進学をしてから、今まで必死に隠してきた。
唯一、秘密を知っている山下くんも、それだけは守ってくれている。
「わかった、わかったから。誰にも言ったりしないから安心してよ」
 山下は、ハジメの発想が妙に可笑しく感じて、口元が弛みそうになるのを堪えながらも彼を落ち着かせた。

「山下さん、到着しましたよ」
 運転手の菊地がバックミラー越しに山下と目を合わせた。
山下がシートベルトを外している間に後部座席へとまわり、ドアを開く。
 いつ見ても身のこなしがスマートな菊地は、もう何十年も藤原グループに仕えているそうだ。
「じゃあね、ハジメ殿、また明日学校で」
 山下は、バッグを如何にも重たそうな様子で肩に掛けると、菊地に会釈をした。
「山下くん、テスト頑張ってね」
 ハジメが、山下に向かってガッツポーズをして見せる。
高級車は、ガチャガチャのある繁華街に向けて、音もなく発進した。


「15分後に戻るから」
 ハジメが、菊地に伝える。
菊地は、いつもの様にコインパーキングで待機し、足早に家電量販店へ向かうハジメを見送った。
 平日は客の入りもまばらで、店員が一人で黙々とパソコンコーナーのキーボードの塵を取ったり、店員同士で会話をする姿が見られる。
 通い慣れた足取りで、おもちゃ売り場のある三階までエスカレーターで上り、ガチャガチャがズラリと並ぶ一角へ向かった。
 今日は、先客が一人いるようだ。
床に屈み込み込んでガチャガチャを回す姿に、ハジメは思わず息を飲む。

――黒谷さんだ。

硬直したまま立ちすくむハジメに、黒谷が怪訝そうな顔をした。
「げっ」
げっ、て。
いくらなんでも嫌われ過ぎてるだろう。

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