「あっ! ひょっとして女の腹んなかの子は、兄さんとの間にできた子なんじゃねーのか」
「まさか」
「隠さなくてもいいぜ、あれでなかなか魅力的な女だからな」
「だからほんと違いますよ。確かに魅力的と言うか神秘的と言うか、噂になるだけのものは持ってる妖艶な女ですよね。妊娠か…… まったくイメージできなないな。それにしてもそんな話をいつもどこから?」
「まあよ、俺んところに自然と勝手に集まってくるのよ。ここらのことでほとんど知らないことはないぜ」
ずっと前を向いていた彼が男のほうを向くと、男は前歯の抜けた口を動かし自慢気にそう話した。
「あの女と関係をもった男は皆、生気を吸われたもぬけの殻のようになっちまうんでしたよね。だったら妊娠させた男は完全すっかりもぬけの殻だな… 」
「そうだなそう言うこっちゃ。ナンマンダブナンマンダブ」と、男はふざけて両手を合わした。
「そして女の肌はますます妖しく白く発光する……… 」
彼は、女の孕んだ裸体を想像した。彼の頭のなか、女の腹はどんどん膨らんでいき、まさにワットの高い白熱電球のように、白く白く電灯するのであった。彼はそれに非常な興奮を覚え、自身の一物も猛然と熱く硬くなった。
「どうした兄さん」となりの男が言った。
彼は我にかえり男の顔を見た。ニヤケた歯抜けのマヌケヅラがそこにあった。彼の熱いものはすうっと冷めた。彼は席を立ち男を残し店を出た。空に大きな満月が白く光っていた。
それ以来彼の胸に、噂の女の孕んだ白い影が、日がな一日ほのめいた。悶々として、かき消そうとすればするほど女の幻影は、彼の胸中で白く白く電灯するのだった。
そんな幻影の女に惑わされる自分に辟易した彼は、ならばと、実際の女に会いたく思い、マンションの付近やマンションの通路などを、頻繁にうろうろするようになっていった。女の部屋もつきとめた。最上階の部屋であった。けれども不思議とその部屋に、人の暮らす気配はまったく感じられなかった。夜に電気が灯ることもなかった。どこか他の場所に住むようになったのだろうか。彼が噂の女の姿を見ることはなかった。
深更彼はいつものごとく電子タバコをくわえアルコール度数の高い缶チューハイを何本も空にしてタブレット端末のモニターの中の世界にどっぷり浸っていた。現実も幻影も糞もヘッタクレも一切合切がドロドロに淀んで渦を巻いていた。そのうち混濁した意識が薄れ遠のき床にダラリと屍のように横たわった。夢か現か混沌の世界が白く閃光を放った。
彼は夕方になってやっと目覚めた。毎度のことだが非常に気分が悪い。床に寝て身体の節々がが痛む。ウッ、と小さく唸りながら上半身を起こした。すると薄っぺらな壁の向こう側、となりの貧乏劇団員が友だちを呼んでか、何やら大きな声で話すのが丸聞こえに聞こえてきた。
「まったく朝っぱらから警察やら消防やら来て騒がしかったよ。飛び下りた女の腹んなかには子供があったらしいぜ」
身ごもった女が飛び下りた。彼は、ハッとして部屋を飛び出し、となりの部屋の玄関を叩いた。
「となりの坂口だけど」
「ああ、なんでした」玄関が開き隣人が顔をのぞかせ聞いた。
「ここの壁薄いだろ」と彼は切りだした。