小説

『このバンドには名前がない』平大典(『ブレーメンの音楽隊』)

 猫田さんは携帯電話を取り出し、その子の画像を見せつけてきた。
 見た瞬間に、心が折れた。
「……わかったよ。今日だけだ」
「さすが、戌井氏だネ!」ロバートさんが歓喜の声を上げる。
 猫田さんと鳥居君は抱き合っていた。
 僕はギターを構えつつ、猫田さんを指さす。「明日、その子のラインアドレスを教えてくれ!」
「アイアイサー」猫田さんはマイクを握る。
 鳥居君は上半身裸になって、ベースを掲げた。
 僕は、エフェクターとギターを繋ぎ、スピーカーのボリュームを最大にする。
 ピックで弦を弾く。
 四畳半が吹き飛ぶほどの爆音だった。

 
 次の日の朝は、チャイムで目が覚めた。
「……はい」起き上がる。全員が畳の上に転がっている。「今出ます」
 僕の体は汗臭い。結局、日が昇るまで、曲ではない曲を爆音で演奏し続けた。世界が僕たちにひれ伏したと感じた。
 扉を開くと立っていたのは、割烹着を来た大家さんだった。「戌井さん、あのね、出ていくのやめてもらっていい」
「はい?」
「昨日も演奏したでしょ?」
「ええ、申し訳ありません」
 気づけば、いつの間にか後ろにろロバートさんや鳥居さん、猫田さんが立っていた。全員目から生気が抜けている。
「あのね、出てっちゃったの」
「へ?」全員で目を丸くした。
「アパートの人、全員。……うるさいのを通り越して、怖いって。……代わりに入居したいって人が出てきちゃって。住民の人が、SNSで動画をアップしたら、それを見た人が音楽やり放題って喜んじゃったみたいで連絡が来て。……家賃もかなり高額でふっかけても、全然問題ないっていうし。まあ、ここ、ちょっと周りの家からは離れているし、いいよねって主人と話していて」
「そうですか」僕は微笑み、思わず大家さんと握手する。「ありがとうございます!」
 音楽の神に願いが通じたのだろうか。猫田さんと鳥居君も抱き合って、きゃあきゃあ叫んでいる。
 音楽仲間が集うアパート。和製チェルシーホテル。一気に世界が明るくなった気がした。
 一方で、ロバートさんは腕を組みつつ、死んだ目で呟いた。「……周りがうるさくなるのは、マジ勘弁なんだよなァ」

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