小説

『the study』阿部哲(『聖書・創世記』)

「勝ったの?」一緒に見ていたママが尋ねた。パパは小さく首を振った。たかしはハンバーグに箸をうずめたまま静止していた。
「たかし、どうしたの? おかわりは?」ママが聞いた。
「……え? あ、いただきます」たかしはそう言うと、空のご飯茶碗ではなく、まだ半分ほど中身の入った味噌汁茶碗を差し出した。
「そっちじゃないでしょ」笑いながらたかしの顔を見たママは一瞬で凍り付いた。たかしはまるで霊能力者の目をしていた。視線はママの目を見ているが、見ているのは目ではない。精神や、脳の構造を直接見ているような、遙か遠い目をしていた。
「たかし? たかし、どっか具合が悪いの」
「僕? 僕は、完全に平気だよ、……フヘヘ……」
 小さなサイキッカーはまばたきをすることなく、薄ら笑いを浮かべて見せた。
 ママは女の勘と母なる愛を頼りに脳ミソをフル回転させた。頭の中に顕微鏡のようなオモチャが浮かぶのに、大した時間はかからなかった。すぐにパパに向き直り、問いただした。
「あなた、たかしにナニ見せたの?」
「ん? 見せる? な、何のこと?」パパは狼狽した。
「あのバカみたいなオモチャのことよ」
「あ、……ああ。いや、ハハハ。あれはね、オモチャじゃなくて、実存哲学分野においても一定の役割を……」
「いいから持って来いってんだよ!!」
 ママの怒声を聞いたパパはグラスをテーブルに置くと、AIが内蔵されたロボットのように二階のたかしの部屋に向かった。
 ママはたかしの側まで来るとその場にしゃがみこみ、両手をやさしく握った。
「たかし、何か、言いたいことがあるんじゃない? ママ、聞くよ?」
 たかしの顔から薄ら笑いが少しずつ消えていった。
「ね? 何のための家族なの? ため込んじゃ駄目よ」
 たかしの右目から涙がひと筋こぼれ落ちた。シミュレーターを取って戻ってきたパパはたかしの様子を見ると一気に酔いが覚めた。
「お酒を片して麦茶出して」終わったらお前の番だからな、という口調でママがパパに言いつけた。
 たかしは麦茶を一口飲んで呼吸を整えるとポツリ、ポツリと話し始めた。パパはそっとテレビを消した。

「……なるほどね」

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