小説

『the study』阿部哲(『聖書・創世記』)

「いや、大丈夫……。ケンちゃんさ、自由研究ってどうしてる? もう始めた?」
「うん。ウチ、ほら子猫生まれたじゃん。だから成長日記作ってる。行動を観察したり、体重量ったりしてさ」
「あ、いいね。可愛いもんね。ウフフ、楽しそう」以前に見せてもらった子猫の愛くるしさを思い出し、たかしは笑顔を取り戻した。
「たかちゃんは? 何すんの?」また、笑顔が消えた。
「……ち、地球史というか、人類史の、レポートかな、……多分」
たかしの言葉を聞いたケンちゃんは、しばらく黙って歩きながら考えて、それから尋ねた。
「終わる? それ」
「……いや、わからない」
 ケンちゃんの疑問は核心を突いていた。情報量は余りにも膨大であり、何をどうまとめればよいものか、それこそ雲をつかむようなテーマだった。
 問題はそれだけではなかった。むしろ、もう一つの問題がたかしを悩ませていた。しかしそれはプールの帰り道で話すには、余りにふさわしくない話題だった。たかしは話題を変えた。
「プール、土日だと混むからさ、次金曜でどう?」
「ああ、いいね。そうしよう」
 ケンちゃんと笑顔で別れ、一人になったたかしは、夕日を眺めて小さく溜息をつくのだった。

 執行人は硬く握ったこぶしを振り上げると、躊躇せずに長髪の男の顔面を殴りつけた。男の鼻から鮮血がこぼれ落ちた。もう一人の執行人がニヤニヤしながら何か男に耳打ちした。十字架に貼り付けられたその男は、ただ黙っていた。すると、トゲの付いた鞭をしならせ、男の胸から腹にかけての皮膚を一撃のもとに切り裂いた。
 苦痛にうなだれる男に向かって群衆の一人が石を投げた。石は男の右目を直撃した。周囲の群衆がワッと湧くのが見てとれた。手をたたき、笑い合い、大喜びしている。
 長髪の男はゆらりと顔を上げ、空へ向かって、何かを訴えるように声を挙げた。その口元を狙い、また執行人がこぶしを振り下ろした。たかしの精神状態は、そこでレッドラインを越えた。
 シミュレーターから目を離し、フラフラと机を離れると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
 仰向けに寝転がったたかしは、両目をギュッと瞑った。思考は散り散りに乱れ飛び、言葉は決して意味を結ばなかった。
 初めは楽しかった恐竜時代もすぐに飽きてしまったたかしは、一気に人間の時代へと早送りしていた。文明の栄える輝かしい人間の時代を、たかしは早く見たかった。
 文明はあった。しかし、それ以外のものもあった。

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