小説

『冬のウェルテルは片目を閉じて口ずさむ』柘榴木昴(『若きウェルテルの悩み』)

2017.9.28
 結局恥をかいただけだった。自身を呪うことの難しさを知った。
 学長の娘は確かに頭もよく、気立てもよくなにより誠実であった。だが私の恋した女性には遠く及ばないのだ。いや、私がすでに彼女しか愛せないという構造に作りかえられたのだから仕方あるまい。
 私は恋に潔癖なだけで、決して不能者でも同性愛者でもない。彼女への想いを忘れる事が出来ないという意味では不具者ではある。世間はまだそういた者たちへの理解は乏しく、ただ辱められた私は今一度恩情にて元の大学に戻ることになった。
 それが最も残酷な刑だとは誰も気づかないままに。
 いや、偶然に名をつけたものを運命だというのなら、私はこの偶然に名をつけよう。
 彼女がいないことはタケル君から聞いていた。そしていつか戻るだろうことも。
 私は地位も名誉もいらない。ただ、この恋心のみあれば呼吸ができる。
 もっとも彼女には子供もいるそうなので恋心も徐々に粉砕されていくだろう。唯一の希望はそれのみだ。
 これを狂っていると形容しても差し支えないだろう。叶わぬ恋を、自分のいない相手の幸福によって幕引きを望むのだから。
 だがそれが失恋の最大分母ではないだろうか。

 2018.10.1
 彼女が戻ってきた。私はすでに、覚悟を決めていた。だが運命の嵐とはかくも不意打ちが得意とあって、雨が降ると思えば矢を降らすのだ。
 彼女は一瞥もしなかった。
 彼女を抱きしめた匂いも体温も、交わした言葉も約束も、ただ、消えてしまった。
 それが消えるということは、わたしから抱きしめた腕を、交わした唇を、思考を、私の、私の、私そのものを消してしまったということだ。
 だがそれがなんだというのか。私は初めからすべて、彼女のものだ。思考も含め全質量が彼女のものだったのだ。
 この世界に初めから私などいなかった。
 彼女のためにしか私は成立しないのだ。
 結局、夫も子供もなんだというのか。私が受ける罰は何に由来するのだろうか。すべて理不尽な規定や仕打ちのために、私は生きているのだろうか。否、私はもう生きてはいない。理性という限りなく後天的に与えられたそれによって生活の線をたどっているだけだ。
 すべきことをするのは理性によってであり、私によるものではない。
 私が憧れた、恋したユウコはもういないのだ。より尊いものになったのか、あるいは堕落したのかはわからない。ただ、私を見てくれる眼差しは……もう失われたのだ。

 

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