小説

『書架脇に隠れる小さな怪人』洗い熊Q(『オペラ座の怪人』)

 私が赴任して来てからも。それ以前からも彼は休み時間には入り浸っている事は聞いた。
 そして隠れる様に本を見ている。
 手にするのは動物、風景。写真や絵が多く掲載されたもの。
 初めはその選択に何も疑問を抱いていなかった。

 

 
「拓真?」
「そう、杉山拓真君」
 廊下で歩きながら、私は三学年担当する同僚の女性教師に訊いていた。
「あー、拓真君ね。あの子か……」
 彼女は天井を仰ぎ見る様に言っていた。
「何か問題ある子なの?」
 そう訊いた私に彼女は歩きながら寄り添い、小声で返して来た。
「……成績がね。全科目、駄目なのよ」
「そう……なんだ」
「何度かそれで御両親にも面談してて」
「そんな酷い状況で……何か障害でもあるの?」
「そう言った診断は受けてないみたいだけど……まあ、お母さんの方は割かしモンスターぽいけど……ああ、これ誰にも言わないで」

 そう同僚が話して私には連関する思いが。図鑑や文字が少ない書籍を彼が好んで読んでいる事。

「まあ素行に関しては大きな問題は無いみたいよ。時偶、授業をサボってどっか消えちゃうこと位か」
「それって結構な問題じゃ……」
 苦笑いで返す私に、同僚の彼女が手で抱えていた用紙の束の中から一枚を手渡してきた。
「何これ?」
「あの子の感想文。拓真君の」
「感想文? ……ああ、市での読書感想文公募のか」
「三学年のは私が一通り目を通しているの」
 手渡された感想文。違和感が目にした途端に存在していた。

 全てが平仮名。辛うじて数字だけが漢字。自身の名前さえ平仮名で書かれていた。

 ディスレクシア(読字障害)。書き出す事が困難なディスグラフィア(書字表出障害)も有るとも思えたけど。
 文法の大きな間違いはなく、ただ感想文の内容は稚拙な印象を受ける。字の読み書きが困難なんだろうと。
 時間を掛かる漢字は避ける、もしくは理解できない。

 そのたった原稿用紙一枚の感想文で、私の拓真君への心証は決まってしまった。

 
 軋みと撓みで底が抜けそうと思える床板。その上に弾む様な音達が響き渡っていた。
 それについでガラスの割れる音。

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