小説

『魔女は真実を語らない』佐野すみれ(『いばら姫』)

 そんなことを考えてみると、夢の世界が現になりつつある僕は、とても安全地帯に身をおいている。
 たとえ現の僕が常に眠りという肉体の活動停止状態が頻繁に起こる半死人のようであっても、僕にとっての現である夢の世界で、僕はとても平和で充実した暮らしを送っているのだから、他人に僕のこの体質を不自由で可哀想などと憐れみをかけられたとしても、僕自身はこの居眠り病をさして嘆かわしくも疎ましくも感じていないし、寧ろ幸せだと思っているくらいだから、さしたる問題はないんじゃないかと思う。

 僕の現…つまりは夢の世界っていうことだけど、この世界で目覚めた僕はいつも大きなベッドの上にいて、部屋の周りはたくさんの茨が複雑な知恵の輪のように絡み合って室内を占領している。
 鋭い棘が幾本も備わった茨の繁みには、真っ赤な薔薇の花がところどころに隠れん坊でもしているみたいに咲いていて、棘だらけの茨に囲まれた痛ましい光景とは裏腹に、僕はいつも薔薇たちの芳(かぐわ)しい香りに包まれることで、僕は自分の存在を実感する。

 僕の世界(つまり夢の話)を、珍しく現の世界で意識がはっきりしていた時に母に話したことがあるのだけど、母には「茨に囲まれて閉じこめられた状況がどうして幸せなの?」という疑問と共に不思議そうな顔を向けられたことがある。それから「貴方はまるで百年の眠りにつく呪いを掛けられた眠り姫のようね」と僕の金色の髪を撫でながら、母は悲しそうな瞳で僕を見つめて言った。母は僕の居眠り病をとても憐れむ人種の筆頭ともいうべき人であった。鼈甲飴みたいに透き通った琥珀色の瞳に浮かぶ雫が、鼈甲飴が溶けた飴の汁みたいで甘そう。なんて思いながら見つめた母の瞳のなかには、母とよく似た風貌の僕という少年が、弓矢の如く凄まじい眠気に襲われて、いつもの如く瞼をゆっくり下ろしはじめていた。

 僕の最新の現での記憶はこの程度のもので、居眠り病の症状が出始めてからの現の記憶は、他にあんまり覚えてない。単に僕が彼方(あちら)での新しい記憶を保とうという気持ちが希薄なだけかもしれないけれど。でも、僕にとっては本当に珍しいくらい彼方で目を覚ましていた数少ない記憶の断片だ。

***

 僕の世界が眠り姫のようであるというのは的を得ている。確かに大量の茨に囲まれた部屋のなか、まともに身動きできるのは眠るための場所であるベッドという極僅かな範囲だけ。まさに眠り姫が百年の眠りについていた時と同じ状況だ。違う点といえば眠り姫は茨に囲まれながら夢の世界を見ていたのに対し、僕は夢の世界で茨に囲まれているのを見ているという点かな。

 眠り姫…母にとっての僕はいつもいつも眠っているから、眠りの呪いをかけられたお姫様のように思えるのは仕方ないのかもしれない。でも、僕はあの話が苦手だ。あの話に限ったことじゃないけど、物語というものは真実を告げているようで、実際はその逆で真実を隠してばかりいる嘘でできているから。

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