小説

『青い空の下で君と』霜月りつ(『千夜一夜物語』)

「彼は表現しているだけ。言ってみれば真似をしてるのかな、人間の。彼に本当のところの感情というものは……愛情も……存在はしないのよ」


「マツムラにトーマって呼んじゃいけない、って言われたわ」
「じゃあ、なんて呼ぶんだよ? 正式名称で?」
『TOM−A』が設置してある場所は単に『部屋』と呼ばれている。トーマの好みでいろいろな映像が流れるその場所は、実際は『TOM−A』の四メートルに及ぶ巨体を維持する、さまざまな機械やコードに埋め尽くされている。今は砂浜の映像となっている場所にも、接続線が降ろしている腰にゴロゴロとあたる。
 映像は『TOM−A』が造る。未知の異文化に出会った時、地球を紹介するために『TOM−A』の中にはさまざまな場所の風景が記憶されている。その中から好きなものを選んでホログラフにしてみせるのだ。目の前で砕ける波の質感、量感は見事で、潮の匂いさえしてきそうだ。
 ミチコは寄せる波に手を浸した。むろん、濡れはしない。
「どうしたんだ、ミチコ」
「え───、ああ…」
 ミチコは空に向かってニッコリと笑った。
「この映像もしばらくしたら見れなくなるな、と思って」
「そうだな、俺が旅立つ日まで、あと四日と十二時間三十四分」
 最後の数字を言う時だけ、コンピューターのような感じになった。
(……ような? トーマはそのものじゃないの)
 ミチコは自分の思ったことに苦笑した。
「さびしくなるわ」
「俺のいなくなるのが? それとも映像が見れなくなるのが?」
「ばか」
 虚像の椰子の木にもたれてミチコは怒った顔をつくる。
「トーマがいなくなるのが、に、決まってるでしょ」
 波頭が白く泡立ち、駆ける馬の脚のように崩れて寄せた。美しいビーチは日差しに輝き、広く遠く静かだ。
「俺も……寂しい。ミチコと別れるのが」
 ぽつん、と言葉が放り出された。
「たった一人で宇宙の中を彷徨うんだ。未知の文明、異なった生命を求めて。確率の低い、当てのない旅……」
 太陽が少しかげる。海の色が深くなった。
「冷たくて……透明で、深い……死んだような世界の中−−」
「トーマ」
「ミチコ……」
 言いかけたミチコの言葉をトーマがさえぎった。波はさっきより少し高くなっている。風が……出てきたのだろうか。
「ミチコと学習するのはとても楽しかった。ミチコはいろいろなことを俺に教えてくれた。感情も……そうだ。だけど、俺は今後悔している。そんなものを知ってしまったことを」

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