小説

『パラケルス・ルビドシアナ』末永政和(萩原朔太郎『虫』)

 次の日も、その次の日も妻は戻ってこなかった。実家に帰ったのだろうか。しかし私は、妻の出生地を思い出せなかった。結婚前に彼女の両親にあいさつに行ったはずなのに、何度も彼女の里帰りに同行しているはずなのに、記憶には濃い霧がかかっていた。記憶そのものが、そこにあるのか判然としなかった。
 ベランダに出て、タバコを吸った。部屋の中では吸わないことにしており、それは妻に気を使っていたからではなく一人の時間がほしいからだった。二人の時間に気詰まりを感じたとき、私はベランダに逃げ出す。タバコの先の赤い火を、そこから流れ出す白い煙を見つめながら、心を落ち着かせる。職場でも喫茶店でもタバコを吸わないのに、この場所でだけ私は喫煙者になるのだった。
 物干し竿はところどころ錆に覆われていた。八階という高所にもかかわらず、排水口は落葉で覆われていた。蝉の死骸が転がっていた。ここだけ季節が止まっているかのようだった。
 いなくなる前の晩に、妻がパルミジャニーノの話をしていたことを思い出した。パソコンで検索してみると、魚眼レンズでのぞいたような構図の自画像が表示された。のぞいているというより、のぞかれているような不安な気持にさせられる。奇妙に手が大きく、感情のない顔をしている。つくりものめいていると言ってもいい。
 「貴婦人(アンテア)」という作品が目にとまった。暗緑色を背に、高価な衣装をまとった無表情の女性がたたずんでいる。「アンテア」は高級娼婦の名前らしいが、実際にこの女性がアンテアだったのかどうかは分からないという。私の気をひいたのはこの女性が妻に似ているからだった。卵形の輪郭、少しとがった顎。目の形も、鼻の形もよく似ている。
 画家の経歴を見ると、「非現実」「幻視」といった特徴にまじって、「錬金術」という単語があった。三十七歳という若さで生涯を終えたのは、錬金術に没頭して精神を病んだためだという。三十七歳。ちょうど私と同じ年だ。偶然とはいえ、薄気味悪いものを感じる。
 窓外では、鐘の音を模したような電子音が高らかに鳴り響いていた。「遠き山に陽は落ちて」だった。夕暮れが迫っている。選挙演説の声もする。ハラコです、ハラコです、ハラコススムをよろしくお願いします……。
 私はふらふらと家を出た。赤く染まった空に、コウモリが黒い軌跡を描いていた。視界のあちこちで葉桜が揺れていた。
 ぽつぽつと雨が降り出していたが、そのまま雨に打たれながら、街を歩くことにした。幸い、雨脚は弱く傘をささなくてもどうにかなる。少し歩けば川にぶつかる。昔、よくこのあたりを妻と散歩したことを思い出す。
 パラケルス・ルビドシアナ。小声で何度もつぶやいた。風景が流れていく。行き交う人々も、同じように流れていく。誰も私を見向きもしない。なんだか体が軽く感じられるのは、財布を持たずに家を出たからだろうか。
 川岸のベンチに腰を下ろして、沈み行く夕陽を眺めていた。「家路」のメロディが聞こえてきた。ハラコです、ハラコです、ハラコススムをお願いします。そうか、ここは別の街なのか。近くの電柱を見ると、萩野町と書かれていた。荻野町だったような気がするがどうでもいい。スマートフォンを見ると、十七時を過ぎたところだった。充電が切れそうなので、エコモードに切り替えてポケットにしまう。
 パラケルススのことを思い出す。万物は水銀と硫黄と塩でできているという。パルミジャニーノと同様に錬金術に没頭し、賢者の石を生み出そうとした。私は何でできているのだろう。私の思考は何を生み出すのだろう。この場所は、世界は、何で成り立っているのだろう。

1 2 3 4 5 6 7 8