小説

『手と指、心』森な子(『手袋を買いに』)

 と、そっと目をつぶって言った。物語はここで終わりらしい。ぱっ、と視線を上げたつばめくんと真っすぐに目が合った。私は、どうするかためらったが、にこ、と微笑んでみせた。つばめくんも同じように微笑んでくれた。昼の気怠い教室の中で、私たちは確かに心が通じ合った。
 つばめくんに対する誹謗中傷のようなものは日に日に増していって、元々そうだったが、本格的にいじめのようになっていた。けれどつばめくんは何も言わなかった。誰に何を言われても動じなかった。ただじっと、憂鬱そうな顔をして座っている。
 私たちは相変わらず放課後の理科準備室でなんとなく一緒に過ごした。もうそうすることから抜け出せないように。一緒に過ごす時間が長くなるにつれてわかることが何個かあって、つばめくんはそもそも人があまり好きじゃないようだった。いや、好きになりたいけれど、でも怯えているような、そんな何か不思議な感じがした。
「桃井さん、誰かを好きになったこと、ある?」
「恋愛感情として?」
「うん、そうそう」
「あるある。超あるよ。一回もうまくいったことないけど」
「うまくいかないと、辛いの?」
「うーん、まあ、そうだね……どうして?」
「人を愛する才能のない、可哀そうな人」
 つばめくんはそう言って、それきり黙ってしまった。人を、愛する、才能の、ない、可哀そうな、人。私はつばめくんが言った言葉を心のなかでなぞった。ものすごく鋭くて、こわい言葉だと思った。
「誰かに、そう言われたの?」
「うん。一昨日、二組の女の子に」
「どうしてそんなこと言ったんだろうねえ」
「俺が、無性愛者だって言ったから」
 つばめくんは泣いているようだった。肩がわずかに震えている。悲しんでいるというより、怯えている、という感じがした。
「めちゃくちゃなこと言うなあ。つばめくん、そんな言葉、真面目に受け取ることないよ」
「でも、俺、本当のことだと思う。言われたとき、ぎくっとしたんだ」
 私はつばめくんが、いつの日か朗読していた童話の子狐のように思えた。けれど彼は子狐と違って、誰かを欺くために化ける必要なんてないのだ。全くないのだ。そのことを忘れてはいけない。
「つばめくん、私はあなたを愛しているけど」
 言うと、つばめくんはゆっくりこちらを見た。怯えた目をしている。
「友達として。ふふ、今、私に告白されたらどうしようって思ったでしょ」
 つばめくんは何かを恥じるような顔をして、「ばかにするなよ」と俯いてしまった。
 私は、薄暗い理科準備室の、流しの下で蹲るつばめくんの、細いわりにがっしりとした手の平をそっと撫でた。暖かい手袋を被せるように。

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