小説

『白い犬』柴垣いろ葉(『山月記』)

 しばらくそうして女性はマシロを撫でまわし、しゃがんで顔を覗きこんだりさまざまな角度からながめたりして私は真剣すぎる見開かれたその黒い目にさすがに少し気味が悪く感じられて「あの…」と声をかけると女性はさっと立ち上がり、カバンから名刺を取り出した。
 そこには“モデル犬事務所クリーム社長 各務典子”と書いてあった。
 なんでも典子さんは昔、普通のOLとして働いており社内で出会った7つ年上の旦那さんと結婚したが、子供には恵まれず寂しさから犬を飼うようになると犬の写真を撮るようになってカメラにのめり込み、そこから今では自分のスタジオを構えて犬の撮影をしてはカレンダーを作ったり企業に写真を提供するなどしてそれなりの額の収入を得ているらしい。
「この子たちには本当に感謝してるの。私に第二の青春を与えてくれたわ」
 最初は違和感を感じていたアイライナーの濃さも、アマチュアカメラマンから自ら起業してしまうなどというとてもパワフルな話を聞いた後では、全く気にならなくなりむしろ彼女の意思の強さを象徴しているようにも思われた。
「マシロちゃんは他のポメちゃん達と違って毛並みが白くて珍しいじゃない?だから是非モデル犬としてデビューさせるべきよ。もう写真集から作っちゃってもいいくらい」
 そして何より契約金として典子さんの口から発せられた言葉に驚いてしまった。その金額は、私の給料のおよそ2か月分ほどもしたのである。
「悪い話じゃないと思うけど考えてみて。いつでも連絡ちょうだいね」
 そういうと典子さんとそのモデル犬たちはドッグランの奥の方へと走っていった。今日は週に2回ほど行っているランニングの日なのだという。

 マシロを助手席に乗せ私も車に乗り込みもらった名刺をもう一度取り出すと、スマホで名刺に書いてある会社名を打ち込みホームページを検索した。見てみると会社名クリームという文字とともにスタジオや犬の写真が何枚もスワイプできるようになって出てきて、しかもその中の一枚に犬を抱いて微笑む典子さんの姿もあった。さっきの服装とはうって変わってショッキングピンクのワンピース姿である。
 私はそれらの写真を一通り見ると“わんちゃんの写真ならおまかせ”の文字の下へ下へと画面を動かし会社情報と書いてあるリンクをクリックした。
 なるほど、創業からたった10年で資本金が2000万もあるのなら立派な会社である。そして、私はスマホを閉じ、シートベルトを締めると視線をマシロへと移した。白髪の老人のようだなんて思っていた毛並みも、美しいブロンドヘアーのように見えなくもない。それに丸くてかわいらしいこのフォルムが、今流行のゆるキャラに匹敵するかわいさを誇れるかもしれないと思うと、ほとんど決まっていた決心が確信のあるものに変わっていくのを感じた。

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