小説

『出鱈目』広瀬厚氏(『平凡』)

 翁が怒り出すとしだいに私の視界はグニャグニャ歪んできた、耳もおかしくなってグワングワンしてきた、形も音もグルグル渦を巻きだした、感覚という感覚がどこか絶対的な次元へと飛んでいった。

 ふと気づくと私は川のほとりに車を止め窓を開けシートをたおし休んでいた。すがすがしい風が開けた窓から窓へと車内を吹きぬけ外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
「出鱈目」そう、出たら出たその目で良いのだ。五十を目前に何かしら焦っていた私は、今そう悟った。すべてどうだって良いのだ。すべてありのままで良いのだ。すべてが矛盾してすべてが同一するのだ。私は私であって私でないがゆえに私なのだ。
 シートを起こし助手席に目をやると、茶色い壺がある。ん? まあ良い。どうでも良い。不思議なことなど無限にある。それについて何も考えやしない。考えたって仕方がない。そこに壺があるのだ。ただそれだけのことだ。私は壺のふたを取ってみた。いっぱいに梅干がつまっている。明日から朝食に一個づつ食べるとしよう。

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