小説

『夏目クリスティの嘘』佐藤邦彦(『あさましきもの』)

 高級なのよ!と下品な程に主張しているソファに座った知美が言う。
 「ええ。お久し振りです」
 淳子が返すと、知美が鷹揚にソファを手で示すのでおずおずと腰掛ける。
 「呼び出してごめんなさい」
 知美がちっともすまなさそうではなく言う。三年前最初に会った時からしてみると別人かと思える程に態度が違う。また、卑屈になっている自分の態度も淳子は面白くなかった。
 「そんな。知美さんは外を歩くのも大変でしょうから」
 「そうなのよ。有名になるっていうのも大変なの、どこに行っても騒がれるし」
 「そうでしょうね。一方通行の知り合いが増えるとメリットよりデメリットが多いでしょうし」
 「まあね。で、私の作品読んでくれた?どう感想は」
 尊大に知美が話題を変える。知美の言う作品とは先日メールで淳子に送られてきたもので、内容は悲恋ものなのだが、地の文が主人公による一人称だったり、三人称だったりところころ変わる上に、物語は有名な少女漫画の筋をなぞっているだけのもので誤字脱字も多く、てにをはも滅茶苦茶という代物であった。
 「なんというか……。とても実験的な小説で……。興味深く拝見しました」
 「なかなかいいでしょ?ねっ、あれを私の次回作にしていいわよ」
 「あれをですか?」
 淳子が思わず驚いた声をだす。あの迷作を世に出すという度胸にも驚いたが、淳子と二人で夏目クリスティであるにも拘わらず、自分だけが夏目クリスティであるかの様な物言いにも驚いた。
 「そう。あれを少し手直ししても構わないから次回作にしてほしいの。あんまり時間がなくて細かいところがちょっと雑になっている部分もあるから、そこを手直ししてね。毎回平田さんにだけ負担かけてちゃいけないと思って頑張ったの」
 ちょっと雑だって?淳子が呆れ、スイッチが入った。脳内劇の開演である。
 「ねっ。そろそろネタも才能も枯渇しているあなたにとってもいい話でしょ?」現実には発していない失礼な言葉とともに劇中の知美が、がばと立ち上がると、身振り手振りを交えて話し始める。「えっ?枯渇してないですって。ウソウソウソ。隠したってダメダメダメ。私を騙そうたってムリムリムリ。だって私は知っているのですからね。嘘をつくならよそでやりなさいな。この私は騙されないわよ。ねっ。だから見栄を張らずに有難く私の作品を頂戴しなさいな。きっと夏目クリスティにとって一番の傑作になるわ。そもそもあなたなんてゴーストライターは必要じゃなかったのよ。私は。それを勝呂さんがどうしてもあなたを使ってくれっていうから……。まっ、いいわ。とにかく頑張って作品を仕上げてね。確かにこの夏目クリスティがお願いしましたからね。それじゃ帰っていいわ。さようなら」
 自分が脳内で創り出した鶴田知美ではあったが、あまりに見事に都合のいい事だけを信じる態度に、いっそ清々しいまでの濁りなき純真さを淳子は見出すと同時に、まるで自分が本当に見栄を張って嘘をついた様な切なさを感じていた。

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