小説

『夏目クリスティの嘘』佐藤邦彦(『あさましきもの』)

 「しかし、彼女は、夏目クリスティが次回作はこれでいくと言っています」
 「平田さん!あなたは印税の配分に不満があるのですね。だからこんな事を」
 「いえ。配分に不満はありません。だって芸能活動のギャラも折半という約束ですもの。ただ、私の財力ではとても住めない高級マンションで彼女が暮らしているのが不思議なだけです」
 「それは……」と口篭もった後にしどろもどろの弁明を始める勝呂だが、なかなか要領を得ない。しどろもどろの弁解も滑稽な見物だが、本音が分かりづらいのでここは平田淳子の脳内劇で描写したい。
 「うるさい!」そう怒鳴るとマイクを握り勝呂はテーブルへと跳び上がる。「え~い。頭が高いぞ。平民が。そもそも半分の印税とて貴様には多すぎるのだ。よいか、作品のみの評価であれば、せいぜい売れても今の十分の一。であれば、印税を折半しなくとも今の印税の五分の一がいいところ。しかもだ、しかもであ~るっ。聞いて驚け。腰抜かせ。これまでで一番売れているのはフォトエッセイであるぞ。こりゃエッセイなどおまけ。ほとんど写真集であるぞ。つまり、平民。貴様の気取った文などよりも、鶴田知美、即ち夏目クリスティの人気で売れているのであるぞ。それを勘違いしおって。手討ちにしてくれようか。よいか文学など売れぬのだ。良質であればあるほどに売れぬのだ。それが証拠に職業作家たちの傑作よりもタレントの暴露本や犯罪者の告白本の方が売れるのだ。悔しければ犯罪のひとつも犯してみよ!そして本を出すのだ。スキャンダラスな犯罪であればあるほどに売れるであろう。分かったか。犯罪ひとつ犯せぬ小市民が!それを一人前に文句など言いおって。よいか本当の事を教えてやろう。フォトエッセイから印税の配分は7:3になっているのであ~るっ。勿論貴様は3のほうである。芸能活動のギャラに至っては9.5:0.5である。気付かなかったか!そう気付くまい。今や夏目クリスティは文化人枠の安いギャラではないのである。タレントとしてギャラを頂戴しているのである。どうだ驚いたか?よいか小説家などというものより、タレントの方が市場価値は遥かに高いのである。えっ!?手前にタレントが出来るか?出来まい。せいぜいが小説家どまりであろう。文句があるか?あれば言ってみよ。貴様の代わりなどいくらでもおるのだ」マイクを使って大声でまくしたてるものだから頭がガンガンするかと思ったが、なんのことはない、これは自身の脳内劇。そんなはずはないと気付き、現実にピントを合わせた平田淳子が勝呂に質問する。
 「すると、夏目クリスティというのは鶴田知美さんの事で、私は単なるゴーストライターに過ぎないというわけですか?」
 「いや、そんな事はありません。あくまで二人で夏目クリスティです。ただ……」
 憔悴した様子で勝呂がこたえる。
 「ただ?」
 「対外的には夏目クリスティは鶴田さんなのです。分かって下さい。お願いします」
 勝呂が頭を下げ、無言になった為、この無言の意味を汲み取ろうと、再び淳子の脳内劇の幕が開く。
 「私だって苦しいのです」勝呂がわぁーっと泣きだし、テーブルに突っ伏したかと思うと、突然がばと顔を上げ早口で喋り始める。鼻水が垂れている。「私だって苦しいのです。私は編集者なのです。それが、それが近頃では鶴田知美、夏目クリスティのマネージャーなのです。いや、マネージャーならいいでしょう。実際は雑用係です。実際のマネジメントは芸能部門のスタッフが行っているのです。私は夏目クリスティが小説家だというギミックの一部としてマネージャーの役を演じさせられているのです。情けない。そう、私は自分が情けないのです。ギャラの配分だって私は反対したのです。でも、私の意見なんて取り合っちゃもらえません。今や夏目クリスティは我が社の稼ぎ頭なのです。誰も彼女には逆らえないのです。本来出版社であるはずの我が社において、文盲に近い人物が稼ぎ頭なのです。平田さん!あなたにも、いや、あなたにこそこの責任はあるのですぞ!あなたこそは主犯なのです。あなたは文学を愚弄しているのです!」

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