小説

『夏目クリスティの嘘』佐藤邦彦(『あさましきもの』)

 さて、ここから先、現実では婉曲なやりとりが続く事となり、実にまどろっこしいので再び平田淳子の脳内劇に戻るとしよう。
 「さてさて」テーブルの上で立ち上がった勝呂が淳子と知美の二人を見下ろして言う。「そこでだ、帯に短し襷に流し。次郎にも太郎にも足りぬ。お馬鹿と醜女のポンコツ二人なれど、合わせてみれば、あら不思議、売れっ子アイドル作家のできあがり」
 「でも、それでは平田さんに申し訳ないのでは……」
 鶴田知美が、ちらと淳子を横目で見て言う。その知美の背後からスーっともう一人の知美が浮かび上がり、「断ったら承知しないわよ!きいーっ」と美しい顔を歪め鬼の形相で淳子を睨んでいる。
 「いえ、別に私は……」
 と淳子が曖昧にこたえる。
 「こら、白痴。何を心にもない事を言っていやがる。お前に申し訳ないなどという感情があるものか。人並の振りをするのじゃねえ。それと隣の醜女。手前も手前だ。何を渋っていやがる。手前が世間に公表してえのは手前の作品だろうが。えっ、それとも、その醜悪なツラを披露し世間様の物笑いの種になりたいってのかい」
 とここまで脳内劇を続けたところで、鶴田知美の美貌を際立たせる為、自分を貶めすぎ面白いどころか妙齢である自分の心を傷つけてしまった淳子は脳内劇を終了させ、現実にピントを合わせた。現実では静かに勝呂が話していた。
 「勿論お二人の承諾が得られればです。どちらかおひと方でも気乗りしなければこの企画はなかった事に致します」
 二人に向き合う形で座った勝呂の背筋はピンと伸びている。
 「その場合は……」
 鶴田知美がおずおずと勝呂に問う。
 「その場合、今回は残念ながら受賞者なしという事になります」
 勝呂の言葉を聞き、知美は俯き、淳子は即座に決断した。その決断を口にすると知美が顔をあげ驚いた表情で淳子を見て、慌てた様子で宜しくお願いしますと言いながら、ペコリとの擬音がつきそうなお辞儀をしてみせた。その魅力に同性であるにも拘わらず淳子はドギマギとし、一方勝呂は落ち着いた能面の如き表情で二人を見ていた。
 こうしてアイドル作家、夏目クリスティは誕生し、デビュー作である『そして猫もいなくなった』の発売も決定した。

 デビューから三年がたち、デビュー作を含め四冊の小説と一冊のフォトエッセイが夏目クリスティ名義で出版され、そのいずれもがベストセラーとなり、特にフォトエッセイは俄かには信じられない程の売れ行きであった。
 各種メディアに引っ張りだこの鶴田知美は夏目クリスティとしてテレビのレギュラー番組を五本抱え、タレントとしても成功していた。軽薄で知性を感じさせない喋りが、選び抜かれた言葉で紡がれている著書とのギャップにもなり、その美貌も相まって大衆受けしていた。一方淳子は創作活動に専念する毎日であった。そんなある日、淳子は知美の住む高級タワーマンションに呼び出された。部屋は四十三回。最上階であった。マンションを見上げるとその威容に圧倒され、その頂上に知美が居るのかと思うと我知らず涙が滲んだ。

 「久しぶりね」

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