小説

『唇』金谷沙織(『草枕』)

 目の前で、あの香りの紅茶『happy』が、金色で縁取られたカップに、静かに注がれていきます。ああ、どうやら、彼女の古着屋に漂っていた香りは、この紅茶の香りだったということを、僕は今、初めて知ったのでした。僕は自信を持って、顔を上げました。そのとき血がぽたり、と唇から落ちました。注ぎながら、僕を見た女の店員が、あまりの僕の完成度の高さに、ひぃ、と震えた声を上げます。見ると、縦皺の目立つ、オレンジ色の唇の持ち主でした。女の持っていた白い陶器のティーポットが手から滑り落ち、ガチャンと耳障りな音をたてて床の上で割れます。次第に他の店員や、客も続々と集まってきました。「あれは、なんなんですか」「警察は呼んだんですか」ざわざわと、今、僕のテーブルの周りには人だかりができています。そして僕はこのとき、確信したのでした。彼女はこの唇を持つに相応しい人間ではなかったけれど、僕の手によって、この唇はこれまでと変わらないどころか、これまでよりももっと高尚、完璧な、ドリームとなり、ホープとなり、パッションとなったのだ、ということを。

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