小説

『唇』金谷沙織(『草枕』)

 そうか、あの小袋の中身は紅茶だったのですね。ついそう言いそうになったのですが、その言葉を発する前に続けて彼女が喋り続けてくれたので、うっかり言わずにすみました。
「『rain』は静かな雨の日を楽しみたい気分の時に、『holiday』はゆったりと過ごしたい休日に、なんて自分なりにテーマをつくっていたりするんですよ」
 あくまでもあの小袋は、彼女のかわいらしい唇を見るための手段であったので、紅茶の淹れ方もきちんと知らない僕は、少しどうでもよく、そういやこれまでに買った小袋を開封したこともなかったなあ、と思いました。でも、喋ってくれるとその分唇の動きを鑑賞できるので、得をした気分でした。どうせなら、もう少し見ていたいと思い、僕は一つ、質問をしました。
「君は、若く見えるけれど、ここでアルバイトをしているの?」
「……普段、ここは叔父の店なんです」
「ほお」
「でも今、アメリカに買い付けに行っていて」
「買い付け?」
「はい。私、自分の紅茶屋さんを開くのが小さい頃からの夢で、叔父が十日間、店を空けるということなので頼み込んで、留守番させてもらってるんです。あ、ちゃんと学校は行ってますよ。学校が終わったらそのまま電車に乗ってここに来て、それで、こっそり紅茶も売ってるんです」
 喋るとやはり表情が幼い。中学校高学年か、高校入りたてか、と、その時、後ろに気配を感じ、勢いよく振り返ると、そこには君より少し年上と見える二十歳前後の、少し血色の悪い唇を持った女の子がいました。
「いらっしゃいませ」
 彼女が慌ててそう言ったので僕は彼女に小さく会釈をし、その女の子が手当たりしだい商品をチェックしていくのを横目に店を後にしました。

 帰り道、指折り数えてみると、彼女と出会ってから、今日でちょうど一週間でした。絵を描くときも、食事をしているときも、寝るときも、いつも彼女の唇が頭にありました。あまりにずっと考えていたから、もうはるか昔から彼女のことを知っている気分だったのです。それがたった七日しか経っていなかったなんて、と思ったとき、なんだか急に胸がざわざわとしてきました。あと三日で、もう今のように彼女に会えなくなるのが恐いのか?原因を探るも、なかなかこれだ、というのが思い浮かばない。その日は、あの暗い店内を隅々まで思い出して、そこにいる僕と彼女を思い浮かべて、なんとか眠りにつきました。

 次の日僕はまたあの古着屋を訪れました。しかし、今日はいつもの目的と違います。彼女の唇を見るため、それだけではありませんでした。
「今日は、ずっとそこの壁に掛かってるGUNNE SAXのワンピースを頂きたい。君にプレゼントしたいんだ」
「えっ、そんな……」

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