小説

『ただこれが愛じゃなかっただけ』柿沼雅美(『チャンス』)

 はい、はい、とうなずくエリーは英太を見上げる。
 「このあとあいてる?」
 え、と僕が言うより先に、恵理衣が、もちろん、と答えていた。
 「じゃあ打ち上げでごはん行くんだけど、そのあとどっかでごはんでも食べない?」
 はい、はい、と恵理衣がうなづく。
 「打ち上げはみんな一緒だからごめんね」
 「もちろん、ノープロブレムです」
 じゃあこのへんで、と僕が言うと、英太は、ほんとありがとねー、と楽屋を出るまでずっと手を大きく振っていた。
 たまに出るテレビでみるよりも筋肉質で、肩にタトゥーがあった。
 外にでると、ファンの人がまだチラチラ写真を撮ったり、出待ちをしているのが見えた。恵理衣は緊張が溶けたのか、やった、やった、と跳ねるように歩いた。
 「今日も少しライブの感想言い合う?」
 「もちろん!今日もサイコーだったなぁ。って言ってもやっぱり最後の楽屋がほんと夢みたいだった。あ、そうだ、今日駅近くのホテル取ってあるんだけど、少しでよかったら私お酒買ってあるから今日は部屋で少し飲みながら感想言い合わない?」
 一瞬ドキッとしたのは、ただホテルっていう響きにだけだと思うけれど、恵理衣がこんなに楽しそうに僕に話すのは初めてだし、確かに今日のライブは最高だったから断る理由がなかった。
 恵理衣が小さなバッグからホテルのカードを出して、エレベーターにかざす。恵理衣のあとをついていくように乗り込み、7階で降りる。1階から吹き抜けになっていて、廊下から身を乗り出して転落してもひとつ下の階にはりめぐらされたネットに受け止められるようになっている。
 「うまくできてるなぁ」
 僕が言うと、恵理衣は聞いてるのか聞いていないのか鼻歌を歌いながら723のドアを開けた。
 「どうぞー、狭いから荷物適当に置いてね。あと冷蔵庫にサワー買ってあるから飲んでライブの話しよう」
 バッグをベッドにころんと投げて、恵理衣はどさっと横たわる。膝下のスカートが太腿まで上がって見え、僕は急いで冷蔵庫を開けてサワーを出して、そのままプルタブを開けた。
 「のど渇いてたの?」
 横になったまま顔をこちらに向ける恵理衣は、髪がこめかみからアゴにかけてふわっとかかって、はじめて色気を感じた。ぐっと缶を傾けると、強い炭酸が喉の粘膜をチクチクつついた。
 「あーほんと楽しかったなぁ。ほら、あのビューティフルデイズ、今日が一番音良かったよね、お客さんのコールもすごい多かったし。それに英太の高音、マジやばたにえんだったわー。うれしみー。それにさ、ギターのタイちゃんのジャンプ見た?すっごい跳躍力じゃない?あれカメラさん撮ってくれてたかなぁ。っていうかDVDとか出ないかなぁ。ツアーラストデーと追加公演のスペシャル2デイズみたいに」
 弾丸のようにしゃべりつづける恵理衣に、僕は太腿を見たり閉め切られたカーテンのヒダを見たりしながら頷いた。
 「あーでもさすがに2日連続は疲れたなぁ。あ、そうだシャワー浴びてくるね、汗いっぱいかいたから」

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