小説

『むじな』大森孝彦(『むじな』)

 もし先ほどみた「とんでもないもの」を友人に話そうものなら、小泉八雲よろしく、彼がまさに怪異のそれとなってしまわぬものか。
 僕が珍妙な事態について弁舌をふるい終わると、ふと気づくのだ。
 佑太くんが、まるで涙を流す乙女のように、両手で顔を覆っている事に。
 ええい、気持ちの悪いと思いながらも、一応は気配りをし、どうしたのか問うのだ。
 そういう優しさを、図らずも僕は持ち合わせてしまっているのである。
 すると、佑太くんのものとは思えない、おどろおどろしい声で、このように言うに違いない。
「その顔というのは、このような顔であったかい」
 そうして、黄昏時の新宮町に、二度目の叫びが響く事になるのだ。

 
             ○

 さて、とっさの機転で事なきを得たものの、怪異を誰かに話したいという衝動は、もはや堪える事のできないほどの強さになっていた。これがあのお化けのもつ特殊な力なのかもしれなかった。
 僕は自室の布団にくるまり、幾度も煩悶を繰り返した。
 もしかしたら、話してもどうという事はないのではないか、と。
 だがしかし、もし相手が怪異に転じてしまった場合、僕はどのようにすればよいのか。
 答えはいっこうに導き出されず、僕はもう話したいという魔力に抗うだけの理性がなく、電話で話をしたならば、もしかしたら僕には危害が加わらないのではないか、などという悪魔的な考えまで鎌首をもたげだした。
 いやいや、それは駄目だ。
 佑太くんは僕の住処を知っている。危害が及ぶ可能性は極めて高いぞ。
 そこで、再び天啓である。
 もしかしたら、質素倹約を美徳とする僕の善行を、神さまはあまさず照覧なさっていたのかもしれない。
 くふふ、と奇妙な笑い声が漏れた。

 
             ○

『そこには口しかない女がいた。目もなければ鼻もない。はあはあと生臭い息を撒き散らしながら、女はぬらりと粘着質な笑みを浮かべ、「ばあ」と舌を出して、僕の頬をぺろりんと舐めたのだ。大絶叫が口からもれ出るのを、いったい誰が責められたろうか』

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