小説

『まつり』大森孝彦(『ひな祭り』)

「きっと誤解がある!」と目が回るのも厭わず、転がり続けながら言った。「僕はそんな恨まれる謂われはないはずだ! 善良な一般市民なんだ!」
「ええい、抜け抜けと何を申すか! 我らは貴様の悪行を、まるっとこの目で見ておったのだ。何もできなかった事が、あまりに口惜しい! この恨み、はらさでおくべきか!」
 誤解である。僕は断言する。けれど、彼らにはその真実は通じない。
 思い込みというのは、人の目を曇らせてしまう。話し合うには、もう少し落ち着いてもらわなければならないだろう。
 壁に突き当たる。あまりの衝撃に、息が止まる。
 そして、振り下ろされる刀。
 憐れ、若い身空で草葉の陰に身を落とすかと思いきや、神さまはまだ僕を見捨てていないらしい。
 刀は壁に引っかかり、目を回した僕にその切っ先が届かなかった。
 三十六計、逃げるにしかず。金持ちではないが、喧嘩をしても仕方ない。
 脱兎のごとく跳び出し、持ち前の逃げ足を遺憾なく発揮した。
 矢の男も、刀の男も、追いついては来れないようだ。振りきれないのは、楽器が奏でる不気味な音色だけだ。
 どれだけ走ろうと、一向に道は尽きない。無限に続いているかのようである。化かされているのかもしれない。
 体力は無限ではない。疲労感は確実に蓄積されている。足をとめ、この身を大地に投げ出し、何もかも投げ出したいという誘惑への耐性が、加速度的に失われていく。先が見えず、どこまで続いているのか不明瞭であるのも、それを後押ししている。
 後ろを振り返るが、足音は聞こえない。
 歩を緩め、壁に手をついてみる。この壁もずっと続いていて、曲がり道などはない。
 触れてみると、ひんやりと冷たい。
「ん? なんだこれ」
 よく見ると、赤い布のようなものが掛けられている。
 引っ張ってみるが、しっかりと固定されていて、落ちてくる気配はない。
「横がだめなら、縦で攻めてみよう」
 僕は己の腕力と、脚力、そして挫けぬ心を武器にして、ぐいぐいと登って行った。
「どこまで続くんだろう」
 落ちたら死ぬであろう高さまでやってきた。まだ続いている。今更、引き返せない。泥沼に足を踏み入れたのではないかしらんと後悔していると、どうやら壁の終わりが見えてきた。
「やったあ、これで助かる」
 ぐっと身を持ち上げ、壁の上に到達した。

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